| ∈夢と希望と、現実と。∋ |
| 2005年05月11日(水) |
東京湾の人気者のクジラが、死んでしまったみたいですね・・・。 やっぱりか・・・という思いと、何ともかわいそうな思いがします・・・。 定置網に引っかかってしまったらしい。 都会の汚い海で、泳いでいるのを見るだけで、かわいそうに見えました。 群れから、離れてしまったとか、いろいろ言われていたけれど。 何とかできないのかなぁ・・・。と思ったけど、これは、自然で生きる生物の厳しさなのかも。 しかし、クジラを追いかけ、テレビやヘリや人がどれだけ見に集まったか・・・。 平和なようで、何とも、違和感も感じます・・・。
昨日の話をします。 ココから書く話は、私、個人の病状についての話で、正しくないことも書くかもしれません。 一患者の思いとして、お読みいただけますよう、ご了承下さい。
今まで見えにくかった右目が、全く見えなくなりました。 夕方に、急遽、予定外で受診。 元々、中心暗点があり、見えにくかった右目なので、パルスを行くべきか?行かないべきか?、判断ができにくいみたいで。 とりあえず、ステロイド系の点眼薬をもらい、様子を見て、悪くなるようなら、もう一度、受診するということになりました。 けど、右目はもう見えないのに、これ以上、どう悪くなるよ?って、気もしますが・・・。 夕方遅くだったのに、診て下さった先生、ありがとう。
今朝起きたら、足が弱ってた・・・。 私は、完全麻痺ではなくて、ほんの少しは動かせる程度の力が残ってるのだけど、それがダランとしてしまう。 今日、訪問看護師さんに伝えたけれど、受診するしかないみたい。 パルスとなっても、入院はできなく外来基本で、私としては車の手配の関係で毎日は通えないし、そういう諸事情もあり、何も治療に入らない気もする。 私の場合、すでに障害の程度も重く進んでるから、正直、周りの白衣の人は、「あきらめている?」と、悔しく感じる時もある。
多発性硬化症は、いまだ難病だけど、ステロイドやベタフェロンなどの薬が開発され、闘える病気だとも感じてる。 確かに、限界点はあるかもしれないし、治療後、回復できず障害として残って、付き合っていってる患者さんもおられる。 私も、そんな部分をいくつか持ってる。 けど、ある程度は、治療できる薬はあるし、適切に診断し、治療できれば、予後は良い方向に、充分持っていける病気だとも思ってます。 だから、始めから、「あきらめること」を=「病気の受け入れ」とはしたくない。 普段付き合ってる、医療を支えてくれてる方から見れば、現状を受け入れられず、もがいて叫んでる患者に見えるかもしれないけれど、自分に置き換えて見てほしい。
これ以上、進行したくない。 今を維持したい。 可能性があるものは、早く治療したい。 という、気持ちがあるのは、当然なことだと思います。 ただ、すぐ受診というわけにもいかなく、そこが在宅医療のネックだと思う。 年々、保険医療の制限が絞めつけて行ってるけど、欧米のように、治療があってしたくても、できない。なんてことにはならないでほしい。 いろいろ言われても、日本はやはり、どんな時でも、医療を受けられる国なので、病気になっても安心できる国であって欲しいよ。
自分の病気って、やっぱメジャーじゃないなって感じた。 昨日、先生は知ってても、看護師さんとか、知らない人の方が多い。 問診の時、「突然、朝見えなくなってた。」というと、「そんなこともあるの?へぇー。」とか、不思議そうに言われた。 そういうことも、ある病気なんです・・・。 私なんて、いきなり立てなくなったのよ、足が。 あの日のことは、もう昔のことだけど、鮮明に覚えてる・・・。
片目をつぶると、やっぱ、怖い・・・。 失明なんて、耐えられないと思う。 閉鎖恐怖症・・・どころではない。 見えないって、狭くて、白く明るいけど、何もいないし、何もない世界。 一度、目をつぶってみて下さい。 そんな感じ・・・。 怖いって思うのが、今見えてる私の、ふつうの認識だと思う。
今日は、怖い気持ちを、素直に書いてしまいました。 ここから、話は変えます。
私は、重度障害者の認定で、身体障害者医療券(一部負担金)と、特定疾患の受療券(重度障害認定で、全額公費負担)とのふたつの制度を利用し、医療を受けてます。 私の暮らす自治体が、身体障害者医療券を利用の方も、一部負担金として、1回500円、月の上限2000円となったのですが。 特定疾患を利用しているはずの科(神経内科)の場合も、なぜか、身体障害者医療券の利用に該当とされ、毎回支払っています。 たぶん、医事課の方自体が、この区分がよくご存知でないのかもしれないのですが・・。 まぁ、少ない金額なので、言うのも・・・とも思い、早く帰りたいし、払ってもきたけれど、やはり「そのための制度」なのにと思うと、もっと医事課の方も、勉強して欲しいなと思います。
話は変わりますが、私の街は、在宅医療の訪問看護などは、身体障害者医療としては利用できません。 24時間人工呼吸器の患者さんも、利用できません。 私は、特定疾患の制度を利用し、こうして訪問看護を受けられているけれど、例えば、特定疾患に該当しない、難病や重度障害、慢性疾患やガンの末期におられる患者さんは、保険の3割負担で利用されています。 1回についての支払わなければいけない金額が高く、とても、訪問して欲しいだけの回数は、来てもらえません。 私の場合、そういう制度があるから、こうして在宅で生活を送れるかもしれないけれど、あまりにも他の福祉に充実している街に比べ、遅れていると思う。 利用者が、利用したい充分な回数を、利用できない現実が、在宅医療に遅れをとっているような気もする・・・。 周りの患者さんは、障害が進む、または病状が進むと、入院や施設。 このパターンばかり、見てきていて、しんどい・・・。 私はもはや、古株で、とても環境に恵まれた患者らしい・・・。 「環境に恵まれた」と言われるのは、今の私の心境からは、心外です・・・。求めるべき所は、もっとこれからの前や、未来の希望にある。 ここで、立ち止まって、あきらめたくはないです。
個人情報保護について、昨日、病院でちらしをもらいました。 「病名につきましては、個人情報保護法の施行に伴い、原則的に患者本人様に、ご説明させていただきます。」ということです。 病名の本人への告知って、一般的になってきたけれど、病名によっては、まだ難しい部分もあると思う。 難病も、説明の仕方によっては、ショックを感じるよ・・・。 病名告知は、避けては通れないけど、ほんとデリケートなもんだと思うな。 その後の、患者さんの、病気への付き合う姿勢にも、影響を与えるほど、大切な重要なことだと、私は感じてる。 思わぬ所で、病院で個人情報保護法について、勉強させられました。
書いて、スッキリ、気持ち整理できました。 読んで下さって、ありがとう。 それでは、安静にしときます☆
*今日の音楽*
川嶋あい 「絶望と希望」 から
(作詞/作曲:川嶋あい 編曲:陶山 隼)
絶望と希望との間には 何が立ち尽くしているの? 目をつむって思い浮かべる 心の中散らばる夢の破片 あなたにもあるよ
これから巡っていく季節と無情な闇風の中で 誰かを愛し誰かのために 戦っていくんだね きっと最後まで走りつづける 強さはその答えなんだろう 負けないように忘れないように もう一度瞳は空を見上げるから
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