99745..チェリー
失くすということ。
2005年04月30日(土)
昨日テレビ番組で、足を切断して失くしたり、乳房を乳がんで失ったり、頚椎を損傷に首から下の機能を失ったスーパーマンの話を観ました。

ある病気で、突然、片足を切断し、失った女性は、「もう一度、ミニスカートを履いて、颯爽と街を歩きたい。」という夢を抱いていた。
従来の義足では、銀色の義足がむき出しになり、とてもミニスカートは履けない・・・。
それで、切断していない足に近い、肌色の義足を作ることになった。
しかし、出来上がった義足を見て、女性が注文したことは、「膝小僧が欲しい。」
その思いに答え、完成した義足は、ほんとに義足とはわからない出来栄えだった。

何かを失うとは、それまでの本来の自分を失うことでもある。
私は、車椅子になってからも、スカートは履いているけれど、なかなか座って、皺にならない、履きやすく、トイレなどにも対応しやすい。
という、リクエストに答えてくれる洋服って、一般の売ってる物では、なかなかみつからない。
スカートって、座る状態では、何センチか上に上がる。
私はずっと車椅子に座ってる形になるので、その辺も考慮して、スカートの丈を合わせないといけない。
それに、今、欲しいのは、ジーンズ。
なかなか、車椅子で履きやすくて、脱ぎ着もしやすいってのは、ない。
介護してもらうにも、一番、人気のないのは、「ジーンズ」。
これは生地の関係上、とても履かせにくく、脱がせにくいものらしい。

デザインもお気に入りで、脱ぎ着もしやすく、履き心地もよいものに出会うと、「いつもその服を着ている。」・・・という、定番の物になってしまう・・・。
もっと、レパートリーを増やしたいって思うのだけどな。

あと、スーパーマンの、「元に戻って、歩けるようになりたい。」と、リハビリに挑戦する意欲には、とても感動した。
しかし、自分にはなかなかできないな。
奇蹟が起こっても、きっと完全には元には戻らない。
現実を受け入れる努力もしないと、現実生活は前に進まない。
リハビリ施設も、一定期間を経過すると、「障害固定」と判断し、ある意味「回復」という可能性を遮断される。
でも、障害を受け入れることは、あきらめることでもないし、私は全てを受け入れてはない。
人間って、そんなシンプルにはできてないものだ。
スーパーマンさんが、今この世にいないことは、とても残念なことだと思う・・・。
もっと多くの方を、力づける存在であっただろうに。

最近、年齢を取るということも、失うことかな?
とか、感じ始めた。
そういう年齢なのかな?まだ早い??
若い頃は、平気でできてたことや、言ってたことが恥ずかしくなったり。
「もう年だし。」の一言で、あきらめたり。
でも、まだまだ、あきらめるのは早いと思う・・・。

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Edit by オレンジミルク 。

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