Kozの日記
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2003年03月12日(水) 幸せだった日々を想うふ。

生徒として始めて食事に行ったのがちょうど1年前。

いろいろありながらも、少しずつ付き合うようになっていたふたり。

家に泊まりに行ったり、家族団らんの時間を過ごしたり。

まるで旦那さんの様に扱ってくれる先生のお母さん。

料理を作ったり、ケーキを焼いたり、遅くまでお話をしたり。

本当に楽しく幸せな時間だった。

先生の感情の起伏の原因は僕にあるとわかっていたから、

僕が辛くても、先生の方がもっと辛いんだと思って強がっていた。


何度か連絡拒絶のメールをもらった。

家族ぐるみの付き合いの中で、僕の将来を話していなかったから

ある種の不安を感じていたのかもしれない。


そう思って2月8日。結婚を前提に付き合って欲しい…。と言った。

先生は涙を流しながら、うんうんと何度もうなずいた。

先生の家に泊まった夜更けのこと。


言葉だけでなく形にするために、2月14日指輪を贈った。

すごくすごく喜んでいた。

そんな顔を見ているだけでも僕は幸せで、

この幸せがずっとずっと続きますように…と

心の中で祈った。



その数日後、連絡拒絶のメールが再び。

またいつものことと、この時は思えなかった。

2、3日経ってから「話をしたいから…」とメールがきた。

3月2日のこと。


やはりただ事ではなさそうだった。

とりあえず気持ちを抑えて、日常を装った。

りんくうのアウトレットまでドライブに行った。

先生の手に指輪は健在だったので少し安心していた。


でも、日常の先生でない仕種が多く、やはりただごとではない
事を確信して、夕方先生の家の近くまで車を走らせた。


家の近くで車を止めた。

車の中で少し沈黙。

先生は息を何度も何度も飲み込んで、

涙をおさえてやっと言葉になった。

「僕とバイバイしたい…」


真っ白くなった頭を現実にもどし、理由を聞いた。




お母さんに結婚の事を話した。

お母さんは知り合いの人に先生と僕の相性を見てもらった。

僕と結婚すると、先生が不幸になると言われた。

その日からお母さんが「僕のことはあきらめなさい」と

会話の度に言われることになった。



だから先生は僕の気持ちよりお母さんの言うことを選んだ。




先生のお父さんは去年1月に他界された。

お父さんの最後の言葉は

「あの子(先生)の結婚だけは間違わないように…」

ということ。

お母さんはお父さんの言葉を忠実に守ろうとして二人の相性を

診てもらったのだろう。



でも僕はすぐには引かなかった。


先生だけは絶対に手放したくなかった。


先生との話の翌日、もう一度会いたいとメールをした。

会ってくれた。僕の気持ちをもう一度言った。

「僕の人生をかけてでも先生とお母さんを幸せにするから」
「命をかけさせて欲しい」と。


先生ももう一度考え直してくれた。


そして週末3月9日。

先生の家でいつものように食事と団らんの時間を過ごした。

そしてその後、お母さんに「本気で人生をかけます」と意志を
伝えた。

お母さんは「あの子の気持ちひとつやからね」。


先生の顔が輝いていた。幸せそうな表情になっていた。


お母さんの気持ち僕の気持ち先生の気持ちがその瞬間ひとつにな
ったように思えた。

これで頑張れるとも思った。


しかし昨日3月12日。


たまたま用事があって先生に夜電話した。

先生が言った「疲れた…」


どうしたの?


お母さん今度はまた違うところを紹介してもらって、

また相性を見にいったらしく、僕の事をあきらめなさいって

何度も電話が入る。とのこと。


お母さんと僕の狭間にいて疲れたんやろうね。

僕が先生の家に言った時はいつも、
家族団らんと言えども、お母さんは先生を愛しているのが本当に
よくわかるし、先生もお母さんをすごく大切にしているのがよくわかる。


そしていつも思ってた。

この二人の絆に僕の入る余地はないって。

だから将来はふたりともめんどうを見させてもらおうって。



先生が僕を選んだとすると、両手を挙げて祝福はしてもらえない。

お母さんの気持ちの中に不安が同居することになるから。



先生は僕の事嫌いじゃないし、本当に好きでいてくれている。

それが手にとるようにわかる。


嫌いになって別れるのなら諦めがつくけど、

好きで別れないといけないって、こんなにつらいものって

初めて知った。


お父さんの最期の言葉。

お母さんの愛情。

先生の思いやり。


僕の入る隙間はやはりどう考えてもない。


昨日の最後の電話では、僕から諦めることを先生に伝えた。


お母さんの気持ちが楽になれば、きっと先生も将来的には

素直に幸せを感じることができるだろうから。


でもきっともう二度と会えない。

会えば叶うはずのない気持ちが蘇るから。


振られたのならまだ会える。


お互い好きな気持ちはこんな時に始末に悪い。



ノクターンはまだまだ未完成やし、進んでいない。

でも先生に出会えたことで、笑わない僕が笑うようになった。

今までなかった幸せを感じることができた。


そばにいるだけで幸せと思えた。

この子を本当に守りたいと思った。


命をかけるれるものがあるって、こんなに素晴らしいことと知った。

僅か1年。

39年間のどんな思い出よりも素晴らしく、充実していて、
幸せで、満ち足りた気持ちになれた。


この現実が連絡拒否の一貫で終わって欲しいと願わずにいられない。



この先もお母さんが、先生に対するマイナス要因を排除することで
二度と結ばれない先生と僕になるんだろうな。


でもお母さんは間違っていないし、子を思う親心やし。


この1年間で得たものを将来に活かせばいいか…と思っても

これ以上の幸せを手に入れることがこの年でこれからできるかどうか…。




今まで、とらうまを引きずって、排他的な考え方の僕に
こんな出会いがあったこと、一生忘れません。


最後に弾いてくれたベートーベン「悲愴」第1楽章と第2楽章、
エリーゼのために。

今僕がまだ楽譜読めないクセに、頑張って仕事のために弾いている
Can't take my eyes off youを連弾したこと。

シフォンケーキを僕のために焼いてくれて、僕の名前をシフォンケーキ
の店の名前につけようとしてくれてたこと。


電話での幕切れが故に、まだ進行形の記憶としていつまでも
心に残っています。

枯れることのない素敵な思い出としてこれからも、ずっとずっと。



本当に今までありがとう。


きっと辛いのは僕だけじゃない。


これからは別々の道だけど、つらい分だけお互い幸せになろうね。




ありがとう。



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