日々の泡

2013年05月24日(金) 小川和佑著「名作が描く昭和の食と時代」

なんでも近代の日本の小説に食卓の描写がないのは士族の影響らしい。「文学作品の中に食と食文化が描かれないということは、なにも川端康成だけではない。明治の日本近代文学の発生以来、近代の作家や詩人たちは、食と食文化に極めて冷淡だった。森鴎外の「舞姫」にも樋口一葉の「たけくらべ」にも食卓の風景は出てこない。明治文学の中で例外的に食を描いたものは夏目漱石の坊ちゃんと職以外にすべての楽しみを絶たれていた正岡子規の病床記「病床六尺」ぐらいなののである。中略 つまりこれは明治の近代文学の創始者たちの精神文化に関わる問題だろう。近代最初の新体詩人だった外山正一も矢田部良吉もまた近代文学の理論的確立者の北村透谷もこの期の優れた作家幸田露伴もみな士族出身だった。彼らは克己的で質素な精神主義者たちだった。彼らは世俗の経済的成功よりも自己の信条に誠実に生きる人生を選び取った。こうした過程で食は身を養うに足りればよしとっする生活感覚を身に着けていた。その感性でいえば、美食は俗中の俗であった。とはいえ、彼らが食を卑しんだのではない。食以前に彼らには理想や美を追求することがその第一義であったのである、こうした精神構造が近代文学に食や美を描くという文学的姿勢を育てなかったのだろう」


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