生きる。を消費する
小さい頃から病床に伏せることが多かった所為か こうして一日家で誰とも話さずに過ごしても苦痛に感じない。 私に会った事がある人はみんな意外だと言うけれど。
夏の空を、臥せったまま眺めると まるで自分がもう死んでしまっていて そんな自分が皆から忘れ去られてしまっていて それでも私は存在してると思い込んでる、みたいな そういう不安定な存在なのではないかと思う。
今日は何故か失恋したときの気持ちが、目が覚めた時にぐわっと湧き出てきて (多分そういう夢を見たのだろう)午前中なのにずっと泣いていた。 未だにリアルに思い出せるという事は、とても好きだったんだなあと思う。 あんなに他人を好きになれる意味がわからないが そうなっちゃったもんはしょうがない。 忘れるのには時間が掛かったし、幸いにして忘れる事が出来る頃になったら ちょうど彼に出会うことが出来た。タイミングとしては最高に良かった。
だから、今ちょっと彼から離れてる私は、もしかしたら心に隙間が出来て また昔の気持ちが蘇ってきたのかもしれない。忘れるために出会った訳ではないが ちょうど最後のとどめを刺すように、もっと好きになれる人が現れたのはラッキーだった。 本当に生きていると、面白いタイミングで物事が動いていく事がある。 そういうのって、私には無いと思ってたから何だか意外だったし楽しんでいた。
ここにきて、その魔法が解けてしまった(解いてしまった?)感がある。 だから急激に孤独感を感じたのかもしれないなあとか。 友達は私を避けるようになったし、私としては全然以前とかわらないんだけれど こうして日記に書くだけで「幸せだからそっとしておこう」と思われてしまうのは悲しい。 それもあって、最近孤独感に負けてるのかもしれないんだろうと思う。
理解されようとは思わないけれど、今という時間はもう無いのだから もっと大事に過ごしたいなあと、それだけ考えてるのです。それだけです。
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