生きる。を消費する

2010年07月29日(木)

小さい頃から病床に伏せることが多かった所為か
こうして一日家で誰とも話さずに過ごしても苦痛に感じない。
私に会った事がある人はみんな意外だと言うけれど。

夏の空を、臥せったまま眺めると
まるで自分がもう死んでしまっていて
そんな自分が皆から忘れ去られてしまっていて
それでも私は存在してると思い込んでる、みたいな
そういう不安定な存在なのではないかと思う。

今日は何故か失恋したときの気持ちが、目が覚めた時にぐわっと湧き出てきて
(多分そういう夢を見たのだろう)午前中なのにずっと泣いていた。
未だにリアルに思い出せるという事は、とても好きだったんだなあと思う。
あんなに他人を好きになれる意味がわからないが
そうなっちゃったもんはしょうがない。
忘れるのには時間が掛かったし、幸いにして忘れる事が出来る頃になったら
ちょうど彼に出会うことが出来た。タイミングとしては最高に良かった。

だから、今ちょっと彼から離れてる私は、もしかしたら心に隙間が出来て
また昔の気持ちが蘇ってきたのかもしれない。忘れるために出会った訳ではないが
ちょうど最後のとどめを刺すように、もっと好きになれる人が現れたのはラッキーだった。
本当に生きていると、面白いタイミングで物事が動いていく事がある。
そういうのって、私には無いと思ってたから何だか意外だったし楽しんでいた。

ここにきて、その魔法が解けてしまった(解いてしまった?)感がある。
だから急激に孤独感を感じたのかもしれないなあとか。
友達は私を避けるようになったし、私としては全然以前とかわらないんだけれど
こうして日記に書くだけで「幸せだからそっとしておこう」と思われてしまうのは悲しい。
それもあって、最近孤独感に負けてるのかもしれないんだろうと思う。

理解されようとは思わないけれど、今という時間はもう無いのだから
もっと大事に過ごしたいなあと、それだけ考えてるのです。それだけです。


korekara doushiyo
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