生きる。を消費する
ふと、幸せってなんだろうなと考える。
私が生きてることで誰かが幸せになれたらうれしいな。 「そこに存在することの素晴らしさ」に価値を見出さなくなっている昨今 存在だけでは駄目、何か成果を出さなくては生きる資格が無いのだ!と 強迫観念にも似たものを感じることに、とても苦痛を感じるのです。
毎日が辛い。私が居ないと困るんだ、とでも言われたいかのような。 私はこのままぼんやりと生きて、そして何処に行くのだろう。 その手をちょっとでも離されることで、不安になる癖に。 私はその握った手を信用しない。「この手はいつか離れてしまうんだ」と。 自分の人生を、他人事のように消化している私がずっと自分を見つめている。 さて、いつになったら自分の出来事として認識するのだろうか。 愛も、憎しみも、悲しみも。全てが自分じゃない気がしているが、それでいいのか?
私が死んだら、誰かが泣いてくれるのだろうか。 それを試す時期はもう終わった。死んだところで何も変わらない。 そう、私が居ないことで多分何も変わらないのだ。影響力があると思ってた自分が とっても傲慢で自意識過剰な、可哀想な子だってのが解ったという事だけ。
時々、自分が漆黒の闇に向かってじっと見つめてると想像することがある。 その闇から、果たして光が見えることがあるのだろうかと。
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