生きる。を消費する

2009年05月19日(火) 表現について考える

土日にデザフェスに行って、思ったこと。
正確に言うと、「前から思ってたモヤモヤはこれか」と判った事。

●個性を履き違えている
いつから「普通なのは個性ではない」という風潮になったのだろうか。
個性的=他人と違う部分
でも、人ってそんなに他人と違うことに敏感じゃないのでは?
人がそれぞれの個性についてとやかく言うのって大抵は「嫉妬」だったりするし。

●マイノリティーを表現ツールに使わないでほしい
性転換手術をした事や、ゲイである事を表現のツールに使うことに
とてもやりきれない気持ちになるのは私だけだろうか。
それは性的なものに限らず、昨今の傾向として声高になって
自分がどれだけ他人から酷い目にあったか、などを言う行為を
耳にすることが多くなった。なぜだろう。
私は、最近になってやっと自分が遭った「酷い目」を他人に言えるようになった。
未だに言えないことなんて沢山あるし、そんなに簡単に傷って癒せるのだろうか。
性転換手術をしたおっぱいを見せられて、生まれつき女の私は
なんだかもともと女である事を責められてる様な気になってくるし
それは自分が持つ被害妄想の表れか?だとしたらそれはもっと強烈に
自分の心にガツーンと響かなくては、表現活動として失敗なのでは?と思う。

自分が「男を捨てて女になりました!」という事を、金をかけて
目に見えるようにしたことを、そんなに誇らしげに表現するものなのか?

理解できない・・・

もっと密やかで、つつましい出来事なのではないのか?

乱暴で、粗雑な、いわゆる「表現活動」について
とても考えさせられる出来事であったのは確かだ。


korekara doushiyo
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