生きる。を消費する

2009年05月03日(日) デイドリームビリーバー

ただ追悼というにはあまりにも自分の語彙力が無いので
私の思い出話に、しばしお付き合いいただければと思う。

清志郎といえばRCというイメージだと思うが、私自身
三多摩ロックの洗礼を受けるのが遅く、中学〜高校の頃で
その時は丁度COVERSが発売禁止になって、タイマーズが
結成された頃だったと思う。
当時は単に私の大嫌いな山本コータローを揶揄した曲が面白くて
アホみたいに聴いてた(笑)左翼的なカッコもよかったし。パロってる所がw
当時嫌いだったものを全て揶揄する存在がスゴくカッコ良くて好きだった。

高校生だった私は、学校にまともに行って無くて
毎日学校の前のT字路で、右は高円寺、左は学校、んで
結局右に曲がってしまうという日々であった。
自由さが好きで入学した高校だったのに、自由を獲得するのはかくも辛く
また理由も無く目立つ存在であった自分の在り方が、とても納得がいかず
自分の存在価値について悩み、独りで生きる事の恐怖感と戦っていた。

高円寺では、古着屋で服を買ったり(もっぱら朝日屋洋品店が好きだった)
七つ森でボブディランを聴きながら、読書したりという日々だった。
もちろん、夕方には友達と高円寺で待ち合わせて遊んだりもしたが
大抵独りであった。当時は「独りで居る」という修行だったのだから。

もちろん毎日高円寺じゃ飽きる。

ある日、私は中央線に乗って国分寺に行ってみた。
今まで下って途中下車をした事が無かったのである。
降りてみて、ビックリした。面白い街じゃないかと。カルチャーに溢れてると。

その話を同級生で唯一話をしていたA君に話すと、カセットテープをくれた。
そこにはひらがなで「さんたま」と汚い字で書いてあって
そこにはRCとか山口富士雄、村八分、外道、その他沢山の知らない音が
ぎっしり詰まっていた。それが最初の出会いだったと思う。

それまではTIMERSを知っていたし、ライブを見た事もあったが
それ以前の情報についてあまり興味が無かった。
でも、こんなにスイートでピュアな音楽は、そう簡単には出来ない。
そう思ったら面白くてしょうがなかった。それまでナゴム系だったから
そりゃそう思うだろって感じなんだけどねwww暗黒しか知らないんだもんw

社会と上手くやって行くのは大変だ。今だってヒイヒイ言いながら
自分の中にのさばってる「反社会的な自滅的な自分」と戦うので精一杯だ。
何でこんなに自分は押しつぶされそうな気持で生きているんだ?と
何度も自問自答したし、気持をノートにぶつけていた。
他人によく「ストイックだ」とか「生きにくそう」とか言われるが、そんなのは
もう気が付いた時には、自覚していたしそりゃそうなのである。

彼の歌を聴きながら、学校の裏にあるちょっとした森
(ゲーテの森という名前だった)で昼寝をしたり本を読む。
あの場所は、今も健在なのだろうか・・・今でも懐かしくなる位
汚いけど、それなりに落ち着く場所だった。
そこで得た音や文は、未だに自分の根幹を築いていると思っている。

だから、私はRCを聴くと当時の空を思い出すし、今でも鮮明に思い出すのは
ホームレスの様にゲーテの森を占拠する私に対して、全然知らない
学年も違う、話した事無い子がお弁当をくれたり、わざわざ話をしに来たり
地べたに寝そべってる私を不憫に思ってか、センパイがバス停にある
プラスチックで出来たベンチ(背もたれにバヤリースとか書いてあるやつ)を
設置してくれたりと、そんなちょっとした些細な、でも私には大切な。
そんな思い出が頭をよぎるのだ。

音楽は、死なない。
もし耳が聞こえなくなっても、私の心の中には音楽が響く。
それはあの時見たライブの音かもしれない。
ヘロヘロになったカセットかもしれない。
でも、絶対に、死なないのである。


korekara doushiyo
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