生きる。を消費する
| 2004年02月27日(金) |
グロいの嫌いな人は読まないでね(はぁと) |
寝る前に死体写真を読んで寝たら、夢に妄想上の彼(死体系)と京都の養源院で求婚されるという謎の夢を見ました。そんなに自分の欲求を一度に満たさなくてもイイのに、と思うのですが根が貧乏性な私は多分こういう形でしか愛を表現できないのでしょう。死ねばいいのに、オレ。
死体が好きだという人が最近増えていますが、私は死体が好きなのではないようです。死体とかエログロ系が好きだよね、と言われる事が多いので「そうなんだ〜」位に思っていたのですがよく考えてみると違うらしい。 過去に何度か死んだ人間を見たことがありますが、ウジ虫が湧いてたり(しばらく炊きたてご飯食べられなかった)死臭がしたり(本当に臭いのよあれ)というのが未だにトラウマになってまして。もうそういうのは見たくない!と思っている方なのです。だからタダのショッキングな映像としての死体写真は見たいと思わないし、実際の死体もあえて見たいと思いません。一度見たら好奇心は満たされる類の物だと思います。自殺志望とか自傷行為とかも興味がないし、死ぬことで自分を表現するなんて本当に可哀想だと思います。そんなに他人って自分に対して優しくないよね?チベットで野垂れ死にしたいって方がよっぽどセクシーだわ。(←私の友達の希望する死に方はこれ) あとね〜、人の念とかを受けやすい私としてはそういうものを見ると時々見えちゃうのよ、その時の当事者の気分とか。たまに脳内メッセに強制ログインされたりするし。それが怖くて仕方がないし、関わりたくないと思う。そこまで責任取れません、冷たいようだけどしかたないでしょ? だから好奇心だけでそういうのが好きだと言う人はある意味幸せなのだろうと思う。真髄はもっと深くてそして哲学的だもの。生きる事にもっと真剣になれるし、人間についてもっと真剣に考えられる。養源院の血天井を見ながらそんなことを考えて、気が付いたら2時間近く経っていたことを思い出した。あれが私の「生きるために死を考えた」最初だったのだと思う。
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