生きる。を消費する
| 2004年01月27日(火) |
我が戦友よ永遠に幸あれ。 |
>ないがしろにされたと感じてしまった関係は、修復可能か。 >憔悴する程悩んだが、 >やはり人格と人格のぶつかり合いの過程で生じる問題を >「ごめん!」「いいよ!」では流せない。 >時間を掛けて信用を取り戻し合うのが面倒なら、 >連絡はもういらない。 >軽薄で無責任な付き合いが何百あったってクズはクズだ。
今思えば、私又は貴方(上記文を書いた人ではない)のどちらかが不義理をして、それに対して相手の所為にした時点でもう修復不可能な関係であったと気付くべきだったのではないか。 相手が土下座するまで謝って欲しいのか?それを見たいと思う時点でもう付き合いとして正常な物とはいえない。自分が偉いと思いたいがために友達やその他関係を築くなんて虫ケラ以下だ。胸くそ悪い。私はそんなドラクエみたいな友情はいらんのだよ。棺桶引きずって歩き回るなんてまっぴらゴメンだ。
文頭の様な考え方が出来る人間が何と減ったことか。 暑苦しい人付き合いはまっぴらゴメンだというのは判るが(誰だって自分が傷つくのは嫌だ)私にとってはそれは単なる逃げでしかなくて、キチンとした友達付き合いは何物にも代え難い存在となって自分の人生に彩りを加えてくれる存在になるというのに。 人付き合いが苦手な人ほど、真剣に、真摯になって接してくれる。 苦手なだけあって、やはりトラブったり理解できなかったりそういうことがあるかもしれない。 でもそれがなんだというのだ。関係を軌道修正(修復)できないなら元々友達として真剣に付き合う気がなかったとしか思えない。
自分が傷ついてもそばにいて欲しいと思う相手だったら。
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