生きる。を消費する

2003年08月23日(土) 自由である事の不自由さ

歌の歌詞なんかで「自由になりたい」ってのが多いのは今始まったことではないが、そんなにみんな自由が好きなのか!?

私は「自由になりたい」と「自分の我が儘通したい」を混同してるのではないかと疑問に思うからだ。子供を公共の場で放し飼いにしてるバカ親も、多分頭の中で「うちの子は自由に育てたいんです」とか思ってる様な気がしてならない。

中学、高校と「自由」な校風の学校に通ってた私は、社会人になるまで制服を着たことが無かったし、自己管理は自分の価値観をもとに自分の責任でするものだった。(これが当たり前なんだけどね)要はオメ〜が単位取れないで留年するのも、3年学校通ってアホのままなのもしらね〜よ!って訳だ。だから私は6年間で大いに悩んだし、また涙を呑んだこともあった。自由とは常に自分とタイマンであってヴァーリトゥードなのだ。どんな技が相手から来るか解らない、反則技なんて無い、てか反則が殆ど。

社会に出てから思ったのは、この「自由な」学生時代があるから私はこうして真剣に自由を考えられるのではないか。少なくとも自由が最高だと決して思わないし、自由でない方が楽な人間もいるということが解っただけでもあの暗黒時代に感謝したい。そして学生時代よりもっと「自由」になりたかったのになれてない現在に「喝」を入れるのだ。

戦え!生き抜け!!
地面を舐めるような出来事にも屈するな。
決して足を大地から離すんじゃない。
そう、私は死ぬ気で生きている。


korekara doushiyo
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