生きる。を消費する
私だけなんだろうか、こんな事考えてるのは。
例えば私の職場である人が(仮にKさんとする)今の仕事を辞めたいという。で、ホントは**で働きたいんだけど、と言っていた。で、私は何も考えず「**だったら友達が働いてるよ〜」と言ったら、とたんに「コネで入社出来ないかな〜」と言われた。 でも私にとってのKは全然友達でも何でもないし、むしろ自分が偉いと思っていて私と接しているから私にとっては結構苦痛な人物なのである。そんな奴に私の友達の職場を紹介するかっての。アホか。
Kにとっての私って何だろう。
私が今どういう状況(精神的にも肉体的にも環境的にも)であるかを考えず、土足で踏み込んでくる人の多いこと。みんな自分の都合があるし、自分が楽しいときはみんなも楽しくなりたいとおもうのは当たり前だと思う。でもそればっかで深いことには知らんぷり。別に何かの相談に乗ってくれとは言わなくてももうちょっとどうにかならんのかね。
私にとって、そういう意味で「カユいとこに手が届く」人が2人いる。一人は熊本(こないだ10年ぶりにあったコね)。本当に魂のレベルで通じ合える。お互いの状態を話さなくても解り合える。 誰でも可能だと思うんだけど、こういうことって。要は「思いやり」の問題なんじゃないのかな〜。私も努力したいと思います。以上!
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