生きる。を消費する
差別についていつも考える。 差別されない人間なんてこの世に居ないと思うし、差別されたことのない人は人の気持ちなんて考えられない可哀想な人だと思う。小さい頃、親によく言われたのは「相手の気持ちになって考えなさい」。でも相手の気持ちなんてそうそう理解出来るもんじゃない。つ〜か出来るなんて言う奴は多分理解出来てない(笑)
で、私も相変わらず心ない言葉で他人を傷つけたりしてるのだ。それも知らず知らずのうちに。
私が差別された、と思ったら 1:言った奴のことを笑い飛ばす(自虐的になる)あんたに私の気持ちが分かって堪るか!というスタンスで。心の中では「あんた、どうせ自分に自信が無いんでしょ?」と思いながら。 2:とことん議論または話し合う。
2は友達以外には使いません。それも会って話す以外は避けます。
最近太ったら多いのよ、平気で「痩せたら〜」とか言う奴。つ〜か言われなくても痩せるときは痩せますからほっといてください。言わなくても汚い物を見るような目で私を見る奴とか。ま〜そういうやつは頭の空っぽそうな女子だからいいんだけど。 そういう奴に限って私のこと真剣に考えてくれてる訳じゃないからね〜
差別することによって自分の居場所が確保出来る人もいるんだから(特に朝鮮いじめとかするやつ)そういう可哀想な人には差別させてあげればいい。知ったような口きく奴には言わせてあげればいい。ただその薄っぺらいアイデンティティーの波に私は呑まれたくないだけ。
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