かっしーのつぶやき
DiaryINDEXpastwill


2002年10月17日(木) BASEBALL KID'S ROCK

ヤクルトスワローズ・池山隆寛内野手、引退記念試合にして今季セ・リーグ最終戦ナイター。
仕事から帰ってきて慌ててTVをつけたら、ちょうど池山が第4打席に入るところでした。入れてて良かったケーブルTV。

消化試合とは思えないほど大入りの神宮球場、池山の現役最後のユニフォーム姿を一目見ようと集まった人々で鈴なりの一塁側スタンドをTV画面で見ていたら、「あのころ」の記憶がどうしようもなく蘇ってきました。私は1992年春からまったく球場に行かなくなってしまい、私にとって神宮の記憶というものはそこで言わばプツリと切れてしまっているのですが、それだけに私が一番足繁く球場に通っていたあのころの記憶はそのままフリーズドライされたように鮮やかに残っているのかもしれません。うまく言えませんが、今夜グラウンドの池山を万感こめて見守る観客席の中に、なんだか「あのころの私」がいるような気がしたのです。

右膝の怪我と左アキレス痛でボロボロの両脚、本当なら立っているものしんどいはずの池山は、その第4打席、結果的に現役最後のヒットとなった二塁打を放ちました。
満足に上げることもできない脚をそれでも必死に動かしてダイヤモンドを回り、二塁上で膝に手をついて息を切らしている彼は、脚が痛むのかそれとも感極まってなのか、とにかく涙が止まらないようで、何度も何度も歯を食いしばり目元をぬぐっていました。
代走は出されませんでした。

延長10回の裏、あと1人ランナーが出さえすればもう一度池山まで打席が回るという場面。なんとかあともう一度バッターボックスに立つ池山の姿が見たいという気持ちと、あんなにしんどそうな彼にもうこれ以上無理はさせたくないという気持ちと、どちらもひたすら胸に痛かった。きっとあの時球場にいたファンの多くが、やっぱりそんな切ない気持ちだったのではないかと思います。どんなに熱心に応援しているファンでも、バッターボックスに立つ彼を、実際に手を添えて支えてあげることはできない。そのどうしようもない現実の前に、ただただ、祈るような、悲鳴のような声援が続く。
そんなとき、飯田がやってくれました。バント安打。俊足の飯田でなければできない、まさにプロの技です。一塁審のセーフのジェスチャーに、観客席からものすごい歓声がわく。これでイケまで打席が回る!スライディングの土を払いながら一塁上に立った飯田は、実にいい顔をしていました。ベンチも大喜び。あいつ、本当にやりやがったよ、そんな声が聞えてきそうな顔また顔。
そう、そして池山です。応援団のトランペットも聞えなくなるほどの大歓声の中、彼は最後の打席に立ちました。フルスイング。ベンチでは何か支えがなければ歩けないような状態なのに、それでもフルスイング。脚の痛みに思わずバランスを崩しグラウンドに膝と手をついて、それでも立ち上がって、最後のフルスイング。

試合終了後に行われた引退セレモニーでは、もう最初から涙の池山選手。
真っ赤な目で、でも背筋をピンと伸ばして、時々あのやんちゃ坊主みたいな笑顔を見せながら彼は、最後の挨拶をしてくれました。

「入団以来19年間、ファンのみなさんに温かい声援をいただいて、こんなに幸せな男はいません。」
「これから第二の人生のバッターボックスに入りますが、これからも応援してやって下さい。必ず皆さんの前に戻って来ます。
こんな私を19年間、本当にありがとうございました。」

野球もスワローズも池山も終わらない。誰にでも、また明日が来る。
標題は浜田省吾、プロ野球好きなら涙なしには聴けない名曲です。未聴のかたはぜひ。


かっしー |MAILHomePage