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ある老夫婦の晩年

2005年03月01日(火)


一昨日、一人のお年寄りが亡くなった。
死因は、お風呂での溺死。
翌朝、ホームヘルパーさんによって発見された。

そのお年寄りは、もう90歳近いかな。
昨年夏に妻の3回忌を済ませたばかりだった。
もう50歳を越した一人息子が結婚してからは、妻と二人暮し、その妻がが亡くなった後は、一人暮らしだった。

彼の妻の死因は癌だった。
体調を壊してから、半年、検査を重ねたが、中々原因がわからず、癌が見つかった時は、既に末期状態だった。
その半年の間に、食欲は全く無くなり、彼女は誰が見てもわかるぐらいに、衰弱して、人の手を借りなければ歩けないほどになっていた。
医者も入院して、検査をしながら、せめて点滴で栄養補充をする事を勧めたが、彼女は、はっきりとした検査結果が出るまで、入院はしなかった・・・正確に言うと出来なかったのである。
その頃、この夫婦の一人息子は、海外に長期出張中だった。
息子は、養子にいったわけではないが、妻の両親と同居している。
衰弱した彼女の通院の付き添いも殆どが義妹がやっていて、息子の妻はたまに顔を出す程度だった。
最初は「検査結果が出ていないのだから、まだ大丈夫」と言っていた彼女も医師と周りの説得に応じて、入院する気になったが、彼女が入院してしまえば、一人残される夫の面倒を誰かが見なくてはならない。
その事を息子の妻が嫌がったのである。
祖母の一周忌を機会に、息子が一時帰国して、自分の母親の衰弱に流石にショックを受けた。
どうやら、妻からは「通院できる程度で大丈夫」としか聞いてなかったようだ。
時を同じくして、末期癌という診断も下され、息子は海外での仕事を切り上げ帰国した。
妻の入院で一人家に残った夫は、昼間は自分が経営する店に出ていたが、毎日の夕食と休日は、ホームヘルパー任せになった。
ホームヘルパーが、来れない日は、姪たちが、食事の世話をしていた。
そして、彼の妻は、入院後2ヶ月も経たないうちに、亡くなった。

妻の死後、彼は店に出る事もなくなり、家に引きこもり、多少のボケ症状も現れてきた。
食事をした事を忘れるという事もないし、徘徊してしまう事も無いけど、まだらボケみたいな感じ・・・・。
平日の昼間はホームヘルパーさんが来て、彼に夕食を食べさせて帰り、休日は、店の従業員が送り迎えをして、施設のショートスティを利用していた。
最初ショートスティを嫌がっていたが、最近では、そこで卓球をやりはじめ、元々若い頃から野球をやったりスポーツマンだった彼は、ラケットも買って楽しみが見つかって喜んでいたという。

それでも最近は、夕方になると、外をフラフラしている事もあった。
まだ家がわからなくなってしまう、という事は、なかったが、周りの人たちも、そろそろ一人暮らしは、危ないと感じ始めていた。
各々の家庭には、各々色々な事情がある。
たとえ、一人息子でも同居できないのなら、それも仕方ないかもしれない。
でも、同居できないならば、祖母がそうしていたように、夜間もヘルパーさんに居て貰うとか、ショートスティに行っている施設に移るなり・・・。
そういう話を息子にする事は出来ても、どうしても当事者ではないから、強要する事は出来ない。
廻りは、どんなに気の毒に思っても、心配する事は出来ても、同居するわけでもないし、経済的に負担をするわけでもないのだ。
そんな矢先の事故だった。

人の気持ちは、他の人にはわからない。
周りの人間が「可哀相、気の毒」と嘆いてみても、老妻はギリギリまで、夫と家で暮らす事が出来て、本人は幸せだったかもしれない。
老夫も今更他人の中で暮らすよりは、気侭に一人暮らしが出来て、よかったのかもしれない。
それでも、もっと早くに入院していれば、もう少し元気な時間を過ごす事が出来たのではと思ってしまう。
誰にも看取られずに最期を迎えるなんていう事は寂しすぎると思ってしまう。

この事は、決して他人事ではない。
この老夫婦は、私の親の年代と大して変わりはない。
そして、何時かは、私も必ず死を迎える時が来る。
子供たちや家族に迷惑をかけるのは厭だが、それでもせめてお布団の上で死にたい。















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