kaorinのしょーじき日記
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2006年06月02日(金) 私が教員免許をとらなかった理由

この時期になると大学の時に
これじゃ教員免許を
取得はできないよなあと
思ったことを思い出します。

専攻が社会学だったので
社会の教員免許を取れるはずでしたが
単位が多い&バイトが多いので
とても無理だなとおもった18歳の6月。。

あと私が高校生までに出会った教員は
ほとんどがとてもすばらしい先生でした。

その幸運は大学まで続いて
はずれの先生はごく数名でした。

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特に印象深かった先生が3人います。

茨城県北茨城市立中郷第二小学校の2年生の担任だった
菊池美佐子先生です。

彼女は当時なまいきな私たちに
わけへだてなく接してくれました。

1年生の担任は少々年を
とった女性の先生でしたが
彼女は若くてシャンプーの香りがして
口紅がピンクで声がとてもきれいでした。

3年生の2学期に結婚されて旦那さまが銀行員だったため
県外へ引っ越すということで
私たちクラスメイト10名で電車で1時間かけて
先生の住む勝田まででかけたことを覚えています。

音読も歌も印象に残るものがありました。
とてもすてきな先生でした。

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中郷中学校で英語の先生だった佐藤慶子先生。

彼女はもう病気で亡くなっています。

先日中学校のアルバムに私に対しての
言葉を書いてありました。

見ていたら涙がでてきました。

彼女には担任になってもらうことはなかったけれど
私が英語検定3級を中学2年でとったことと
英語弁論大会に推薦してもらったことで
かなり密接に学習していた思い出があります。

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茨城県立日立第二高等学校のときの音楽の先生。

私は文芸部の部長をしていたため
音楽部には助っ人でしたが
とても楽しい合唱をさせてくれました。

当時開催されたつくば博で郷ひろみのバックコーラスを
全県の合唱部高校生でしたのことはとても良い思い出です。

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そんな3人の先生との思い出があると
私のような不遜な人間には
教員になる資格はないなあと思いました。

現在は不登校やいじめや
つきあいのできない本人のため
教師によっていろんな思いをする生徒が
いることは確かです。

ただそれを決めるのは本人です。

私は自分が教師として
生徒とそういう関係で
立ち会うことはいやだと感じました。

私の何人かの友人が
いじめにあったり
不登校になったりすることもありました。

きっかけはささいなことです。
ただ歯車は回ると止まらないことが多い。

やはりその友人に関わった先生は
その友人も含めて
とても不幸な時間を
過ごしているなと感じていました。

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私には教員にはむいてないなあと
6月になると思います。

逃げたいものからはさっさと逃げる。
しょーじきな気持ちです。


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