入所記念も城千秋楽も無事見届け、あれからもう1週間以上。
葬儀の話なので以下反転で。
27日。千秋楽を無事見届け、帰宅した21時過ぎ。 義父の呼吸が止まったと連絡があり、病院に駆けつけましたが間に合いませんでした。 26日に再入院して、夕方お見舞いに行き。 「こんな爪でごめんねー明日出かけるから、それが終わったら切るから」と 足を摩りながら話をしたのが最後。 どんどん紫になって浮腫んで行くのを見ながら、長い爪で派手に塗ってる自分が恥ずかしかった。
27日の夕方、義弟夫婦が行った時は静かに寝てて、話が出来なかった様。 呼吸がおかしいからとモニターつけ、義母が帰って1時間後でした。 うつぶせで寝る義父に看護婦さんが「苦しくないの?」 「大丈夫」 それが最後の言葉になったのかな。
モニターの音がおかしいと看護婦さんが入った時には呼吸が止まっていたそうで。 一番最初についたダンナすら、待っててくれず、一人で逝っちゃいました。
闘病生活、約1年。最後は食事も水も咽を通らず、痩せこけて。 自宅で必死に痛さに耐え。 それでも遊びに行くと、笑顔で迎えてくれて。 チビのリンゴグミがいい匂いだなーとボソっとつぶやいてた。
まだ温かいから・・・とチビに、じぃじ いーこだよ?と言うと頭をなでた。
葬儀は凄く大勢の人が駆けつけてくれた。 ホールに入りきれなくて、外までいっぱいで。焼香の列もなかなか途切れず。 小さくなった義父の顔を見て、みんな泣いてくれた。
火葬場で、別の車で来たチビがなかなか到着せず、じぃじに最後のバイバイが出来なかった。 チビが父に抱かれて駆け込んで来たのは、棺が火葬の位置におかれ、扉が閉まる直前だった。
小さな声で「じぃじバイバイ」と呟いたチビを抱き締め、号泣した。 じぃじに申し訳なくて。
骨を拾いに行くと、凄く綺麗な咽仏と、そして、立派な骨が残ってた。 係りの人が顔の形に骨を置いてくれ、じぃじの顔がまた見れた気がした。 チビも怖がりもせず、ちゃんと骨を見届けた。
バタバタと葬儀が終わり、普通の生活リズムにやっと戻った。 相変わらず実家には焼香に人が来てくれる。 じぃじの明るい・人を楽しませることがスキだった人柄がうかがえるよ。
いろいろ思い出すとまだ泣けるけど、でも元気にやっていこうと思う。 じぃじ、お疲れさま。 本と言うと、もうちょっと生きていて欲しかったよ。 たくさんの感謝をこめて。ありがとう。
横浜もあきらめたし!←ちょっとまだ悔しい。 少クラからヲタライフ復活します。
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