たそがれまで
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2003年06月16日(月) 友のこと 4





彼女から結婚式の招待状が届いた頃、
私は息子を妊娠している時だった。
奇しくも式の日取りと予定日が同じ日で、
「欠席」という返事しかできなかった。

彼女のご主人は同じ職場の同僚で、同じ信仰を持つ人だった。
新婚旅行後に送られてきた葉書には、寄り添って笑う二人が写っていた。
とても優しそうで、少し神経質そうで、ナイーブな感じのご主人だった。
写真の中の二人は、とても嬉しそうで幸せに満ちあふれていた。
そのまま幸せになってほしかったのに・・・



しばらくすると友人から、妊娠したという連絡がきた。
その頃はご主人の実家の近くに転居してしまっていたから、
車で1時間ほどの距離に住んでいた彼女。
なかなか里帰りができないと悔やんでいた。

それでも受話器から聞こえてくる彼女の声は、
表情が読みとれるほど、弾んでいた。
母になる喜びを延々と語っていた。
家族が増える楽しさを喜々として語った。



あの頃の私達は、頻繁に連絡を取り合うこともなく
どうしてるかなぁと思ってると偶然に連絡が来るという具合だった。
「今日、どうしてるかなって思い出してたところだよ。」
「うん、なんかテレパシーみたいだね。」

考えてみれば、あの頃からいつもそんな感じだった。
お互いに引き合っていたのかもしれないと思う。

でも、しばらく連絡がなくて、どうしているのかと思っていたら
お腹の赤ちゃんの調子が良くなくて、絶対安静の時期が続いているらしかった。
里帰りもできず、知らない土地で、
一人横になっているのはどれだけ心細かったろう。
後でこのことを彼女は悔やんでいた。
生後7ヶ月で逝った我が子の責任を、一人で全部背負い込んで。

あなたが何かをしたから、そうなった訳じゃない。
あなたが何かをしなかったから、そうなった訳でもない。




それから何ヶ月かたって、彼女は男の子を出産した。
少し小さかったけれど、産声も元気で、保育器に入ることもなかった。
彼女がどれだけほっとしたことか。
私はそっちの方が嬉しかった。

だけど彼女とご主人の子育ては、私達の予想以上に大変だったようで
小さな物音一つにも敏感に反応し、両親の方がおたおたしているようだった。
たまに電話をかけても、話し声が昼寝を邪魔するとからと彼女はヒソヒソ声で話し
私は受話器を必死で耳にあてなくてはならなかった。
マタニティーブルーというやつで、私にも経験があったから
元気付けようと電話をしているのに、早々に切られてしまうことさえあった。

少し神経質になっている。そんなふうに感じた。
時間が経てば落ち着くだろうと思っていた。
電話をかけるタイミングを見計らっていたけれど、
気を使っているうちに時間が経ってしまった。



しばらくして彼女から手紙が届いた。
いつもの彼女の文字とは少し違っていた。
私は最後まできちんと読むことができない手紙だった。





  1ヶ月の頃、東風の電話で励まされました。ありがとう。
  しかし、息子は死んでしまいました。7月です。
  肺炎と言われました。
 
  その後、主人も私も入院し、主人はまだ入院しています。
  姑が子供が死んだのも主人が身体をこわしたのも、
  私のせいと主人に会わせてくれません。
  人生って色んなことがあるのですね。思ってもみないことがあるんだ。
  今まで住んでいた家は引き払い、私は実家にいます。
  
  毎日がただすぎていきます。笑いたいと思います。
  毎日笑えたらどんなに幸せだろうと思いながら暮らしています。
 
  悲しい手紙でごめんなさい。 
  そのうちきっと元気になって遊びに行きます。

                         11月2日




次の瞬間、私は受話器を握っていた。
そらで覚えている彼女の実家の番号を押した。
だけど言葉が見つからずにただ泣くことしかできなかった。
彼女も向こうで泣いていた。
二人とも声を殺し、ただ静かに泣き続けた。
大声で泣くことができたなら、少しは心の痛みが癒えたんだろうか。









彼女の命日である今日(6月20日)、このイラストをアップしようと思ってました。
中央のボーダーを着たのが私、横にいるのが子供たち。
懐かしい人達が皆ないます。そして彼女も、彼女の子供も・・・

期せずして、彼女の実家へお参りに行くことが出来ました。
遺影の彼女は笑っていました。
あの日からもう1年。
彼女がいなくなってもう1年。








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