これは、このサイトのBBSにお客様が書き込んでくれた文章の一部をコピペしたものです。
「思い残し症候群といわれる人達と、境界性人格障害というのは違うんでしょうか? 愛を受け継げなかった人達の、治癒のドキュメンタリーをテレビで観たことがあります。 一見、普通の大人が、先生に肩車されて遊園地で遊んだり、食事を食べさせてもらったり、お風呂で身体を洗ってもらったり、オムツを変えてもらったり、添い寝をしてもらったり、幼児の擬似体験ということで、心のバランスを取り戻そうという治癒なんですけど。 こういうことは、本人の自覚が大切です。」
少し、この話題について、真面目に意見を述べてみます。
境界性人格障害を研究していらっしゃる、精神科医、町沢静夫先生の本によると、境界性人格障害の人たちには、両親が離婚した経験があったり、祖父母に預けられて育ったり、虐待を受けて育った人たちがたくさんいるそうです。 しかし、日本においては、親、特に母親からの「過保護」のもとで育ったケースも多いそうです。
しかし、私は、度が過ぎた過保護もひとつの虐待だと考えています。 「自分はお母さんのお人形」そう思いながら、自分の本当の欲求がみたされないまま大人になってしまった人も多いのではないでしょうか。
実は、私も、この書き込みの「ドキュメンタリー」を見たことがあります。 若い女の人(普通のOLをされています)が、中年ぐらいの男の先生のところに行って、哺乳瓶でミルクを飲ませてもらったり、「はい、あーん。」と、食事をたべさせてもらったり、オムツを替えてもらったり。 そのときは、旦那と2人で見ていたので、 「何?これ?幼児プレイやん!エッチっぽいよねー(笑」なんて言いながら見ていましたが、やはり、この女性に共感できる部分がありました。
要するに、行為そのものではなく、「思いっきり甘えることの安心感」が得られれば、それは大きなこころの救いだと思います。
思い残し症候群は、病名ではありませんが、さまざまな障害の人が、この症候群に含まれるのではないでしょうか。
私が入院していたときも、ある摂食障害の人が、ある特定の看護婦さんが夜勤のときは、かならず、「あーん」と口を開けてお薬を飲ませてもらっていました。
PTSDと診断された友達は、「私、哺乳瓶でジュースとか飲ませてもらって、抱っこしてほしい!と思うときがあるねん。」と言っていました。
私も入院中は、「行動化」(泣き喚いたり。器物破損、暴言)をよくおこしましたが、それは、そのとき、スタッフがどう反応してくれるか「試す」という意味を多く含んでいました。また、自分のほうに皆の気を引きたいという、幼児的な欲求もありました。おばあちゃんの患者さんに「よしよし。」と頭なでなでされると、涙がじわっと出てきました。
そして、今でも、誰かから「小さいときから本当にがんばったね。えらいね。」なんていわれると、こころがふるえて泣いてしまいます。
思い残し症候群というのは、確かに、私の中のどこかにあるはずです。 だからといって、私は私の祖父母や両親、どっかへ消えた母が「悪い」とは思っていません。 只,お互いの価値観のズレがどこかで生じて、それがあまりにも長年に渡ってしまった所為でしょう。
境界性人格障害の治療は、それになるに至った年月の2倍を要すると聞いたことがあります。 それを思うと、なんだか気が遠くなりそうです。
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