デコラのひとりごと。
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11月3日は父の命日です。 で、2日に一周忌の法事が行われたわけです。 親戚の皆さんに集まっていただき、 昼間っから賑やかな我が家。 お坊さんにお経を読んでもらっている時までは しんみりしていたのですが、そこから後は、宴会なりね(笑) というよりは、我が兄のオンステージ?(爆) 普段から面白い兄ですが、酒が入るとよく喋る喋る。 人生の大先輩であるオジチャン達もタジタジのトーク炸裂なのだ。 最初は楽しく面白く話しているが、酒がすすむにつれて 失礼な爆弾発言も度々なので、聞いてる方はヒヤヒヤしてしまう。 そうして、最後には決まってお父さんの思い出話=悪口(?)となる。 悪口といっては、言い過ぎだろうか。 「とにかく、昔の親父はワルだった」 という話。
よく殴られただとか、自分の集めていた古銭や切手を勝手に売られて バクチに使われただとか、教師のくせに学校を1週間もサボって麻雀ばかり していた、だとか。気の強いオバチャン(父の姉)と大喧嘩して 包丁持って大暴れしたとか。オバチャンも負けずに 「刺せるもんなら、刺してみろ!」と啖呵を切ったとか。 本当だか嘘なんだか、よく知らないけれど。 兄の話に出てくる父は、とにかくヤクザのような父なのだ(爆)
晩年の父は、本当に温和な人だった。いつもニコニコ優しく笑う。 でも、病気になる前の元気な頃はちょっとした困った人だったことは 私も覚えてる。パチンコが大好きで家には殆どいない。 ものすごい短気で、怒らせるとものすごいカミナリが落ちるのだ。 母との取っ組み合いの大喧嘩を目撃した時は、本気で泣いたっけ。 でも、子煩悩でとにかく私たちを愛してくれてたことは確か。 それは、絶対。兄のことも、姉のことも、私のことも。 晩年には母のことも、すごくすごく愛してくれていた。
なのに「俺はあの頃、親父が大嫌いだった」なんてことを兄は言う。 そこで、母と姉と私の3人から非難ゴウゴウ浴びる兄。 お父さんの元気な頃の話を聞くのは好きだけれど、その発言は許せない。 「お父さんが、兄ちゃんのことどんなに心配してたか知ってるの?」 そう言うと、この兄貴、今度は泣き出すのだ。 「泣けるようなこと言うんじゃねぇや」 ・・・困った酔っぱらいである(笑) でも・・・本心じゃないんだろうな。と、私は思う。 兄は、お父さんのことを悪いふうに言って、実は「ワル」なお父さんを 自慢に思ってるようにも見えたから。多分、多少は脚色しつつ(笑)
親戚の皆さんが帰った後も、兄のオンステージは続き。 私たちはお酒を隠すのに必死だ(笑) 寝る直前まで大騒ぎで、お父さんの愛用してた重たい布団をかぶせてやると 「なんだこりゃ、石ウス?墓石か?」と叫び、寝言で 「オヤジィ〜勘弁してくれぇ〜」とうめいていたという(笑) なかなか笑かしてくれる兄であります。
思えば、こんな兄を度々目にするようになったのは お父さんが亡くなった後だよなぁと思う。 お父さんがいた頃は、時々帰ってきても、 こんなにお酒飲んで大騒ぎすることなかったもん。 やっぱり兄は、父を恐れていたんだろうか?
・・・しかし。 兄ちゃん、昔のお父さんに段々似てきたよね。 母と姉と私。後でコッソリとそんなことを言い合って 嬉しいような困ったような、それでもやっぱり楽しいような。 複雑な気持ちで大笑いした。
decora
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