今日もガサゴソ
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2006年04月25日(火) 何かが終わり、何かが始まった

この日記の2002年11月と12月の二ヶ月分は
自己紹介のような内容で、
毎日のことは2003年1月から書かれています。

この自己紹介的な内容の最後のところは
断続的に書かれていて
チビ助の妊娠がわかった夜、
亭主がしくしく泣いたところで中断しています。

しくしく泣いた亭主が泣きながら発言したことと
それに対する私の返事がその後の暮らしに
どの程度影響を及ぼしているのか計り知れなかったからです。


私たち夫婦に、子どもが授かったとき
医師は奇跡だといいました。
亭主はしくしく泣き、泣きながら

あんたには、申し訳ないが
へんな話しだと思うだろうが、と繰り返しながら
こういいました。

あんたは死んでもいいから、
どうかその子どもを生んでください
あんたが死んでいなくなっても
きっとりっぱに育てるから
お願いですから、生んでやってください

その言葉は、真実、正直な気持ちからでたものであろうことは
私にもよくわかり

はい、いいですよ、と返事をしながら
私も少し泣いて、そしてモヤモヤした気持ちを抱えました。

その日から、夫婦の関係が変わりました。
まず、妊娠中に起こる様々な些細なトラブルのため
例えば、激しい腰痛のため
ソファに腰かけることもできなくなり
ベッドのスプリングにも耐えられなくなり
ベニヤ板を敷いたベッドに毛布を敷いて
そこで私は寝起きするようになりました。

無事にお産が終わっても
私はそのままそのベッドに留まり
チビ助を抱いて、ひたすら抱いて育てました。
チビ助が1歳8カ月になり
私の身体がお産の前に戻り、お乳を与えることに
耐えられなくなるまで、それは続きました。
断乳の日からは、亭主が子どもを抱いて眠るようになりました。
そのお陰で、わたしは、不眠の暗い長い夜を
明るい部屋で、遊びながら過ごすことができるようになりました。

子どもが授かったことで
夫婦の関係が変わることは
当然のことだろうし
それは不幸なことではないし
亭主の子どもに対する献身を思うと
「あんたは死んでも...」と発言した
亭主を責めるような気持ちは微塵も感じません。

でも、あの日に、確実に終わってしまった
13年間にも及ぶ新婚生活に未練があったかも知れないと
このごろ、思うようになりました。



耳の手術のため入院しているとき
不思議な青年に出会いました。

仕事帰りに病院を訪れた亭主を見送りした私が
見送りのあとタバコを吸い始めたとき

その青年は私に
おねえさんは.....おとなですよね、と
遠慮がちに確かめるのでした。

なんのことかなと思っていると

さっき、男の人と一緒にここを通った女の子は
確かに4歳くらいだったのに
車で出ていった男の人を見送った女の子が
ここでいきなりタバコに火を付けたので
オレはビックリしてしまって
まじでビックリして
じろじろ見てしまってすんません
いや、ほんと
おねえさんだ、おね〜さんですよね〜〜〜
あはは
オレ、なに見たんだろ、はははは

何を見たんだろと笑うのですが
この青年は、不思議な視覚を持ち合わせていて
私の心のありようを視てしまったらしいのでした。

子どもを授かるまでの13年間。
初めの3年くらいはなかなか馴染みませんでしたが
馴染んでからの10年間。
私は亭主に、全身をゆだねて甘えて暮らしました。
スンスンと鼻を鳴らしながら
甘えきって赤ちゃん言葉を使って過ごしました。


亭主を愛して愛し抜いて、結婚に至ったのではないのでしたが
結婚したあとに、ゆっくりと時間をかけて
懐いて、頑なだった心が解けて
ゆったりとした幸福にひたっていた13年間なのでした。

医師は妊娠を奇跡だといいましたが
そんな風に、小さな子どものようになりきって
亭主に甘えさせてもらった13年間のほうが
奇跡であったのではないかと
そんな風にも思えるようになって

あの夜に終わってしまったものを
取りだして
こっそり眺めてみるのでした。


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