今日もガサゴソ
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私は東北で生まれ育ったので それなりの訛りがあります。
東京で暮らしていたこともあるので その気になれば 出身地方を感じさせない会話もできますが くつろいでいるときには 抑揚や語尾に 様々なおまけが付いたりします。 訛りがあるというのは ちょっと愉快であったりもします。
小学生の頃、 テレビから聞こえてくる会話は「共通語だ」と 教えられていました。 テレビに出ている人たちは テレビに出ていないときは 訛った言葉を使っているものだと 思いこんでいました。 そういうのんきな感覚なので 教科書の文章を音読するとき ヘンな気恥ずかしさがありました。 普段使わない言葉を声に出して読むのですからねぇ。 そして、授業中懸命に読んでいる 教科書の文章には 愉快な抑揚の味付けがされるのです。 担任だって結構訛っているので いちいちなおしたりしませんでした。
いつか、友人の家で 小学生の娘さんが宿題の音読をしていました。 モンゴルの民話の「スーホーの白い馬」でした。 友人は神奈川出身なので 子供たちはあまりこちらの訛りがない話し方をします。 その子の滑らかな音読を聞いていて ああ、訛っていないんだとシミジミしました。
子供が昼寝の時に 繰り返し繰り返し同じ本を読んでくれとねだります。 そこで、ふと イタズラ心で 小学生の時の国語の時間を思い出して 訛りのある抑揚で読んでみました。 勢いで方言変換してしまう文章もちょっと出たりしました。
チビ助は はじめ驚いたように私の顔を見ました。 すぐ、おかしそうにキラキラ笑って お話を聞いていました。
自然に出てくる声にまかせて読んでいる ような感覚かな、大袈裟だけれど。
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