仕事をしていて いつも疑問が残ることがあります
どこまで望むか ということ 93才といったら 何かができなくなることはあっても できるようになることはまず望めないのでは・・・と 諦めはいけないとは思っています でも・・・私が関わる限られた時間は 何なのかなと感じます
自分でお茶を飲む これさえ 自由にやらせてもらえない 93歳にとって お茶を飲むという行為は 自分でしたいこと?人にしてもらいたい? 正直なところ わからなくなっています
その日の職員によっては 「お茶飲ませて ヨーグルト食べさせてありますから」 その声かけに対して 『わかりました』 と 答える私 心の中では・・・実は・・・ 『余計なことを・・・』 と 思ってしまうのは間違っているでしょうか 歩くことができなくなり 立つこともままならず いま この女性に残された能力は 食べることなのです 私のこだわりは この女性が持ってきたという ご自分の急須と湯のみを使うこと 吸い飲みにお茶を入れて 水道水でぬるくして飲ませる もしも・・・もしも自分がされたらどうです? 私はお茶のみではないですが 水で薄めたお茶を 吸い飲みで口に流し込まれたらと 想像してください または 歯磨きに使うプラスチックのコップに お茶を入れて置いておく そこまでで置きっぱなし・・・ まだそのほうが嬉しいです 湯飲みに移し変えて 飲んでいただけるからです 少なくとも薄まったものよりは お茶の味がするというものです コーヒーも水で薄める職員がいました まぁ 試しに飲んでみてください・・・
ノルマがあるのはわかりますが せめて この女性くらいは 私が入るのですから 自力で摂取していただきたいものです 介護のし過ぎで スウェーデンの福祉が崩れたように まさに 介護のし過ぎで 残された機能が奪われていきます 93歳に望むものは何でしょう 自分で食べる食事? やってもらえる楽な食事? どちらが望まれるのでしょうか この女性の介護ついて日誌に書き続けてきたことは 理解されなかったのかな・・・ 自立と機能維持のための介護 特養は何を目指しているのかな・・・ 人の尊厳はどこにあるのでしょうか 先日もこんなことがありました 各棟に診療日という日があり 先生が来て入居者をまとめて受診します 私が行ったときには 担当女性が丁度受診を終えたところでした 私の顔を見るなり 「あぁ よかった どうなることかとおもったわ」 ・・・です はじめは意味がわかりませんでしたが 後で落ち着いてこの女性のいった言葉が 「歯も(義歯)いれなくてめがねもかけないで 上着も着ないのに 先生のところに連れて行かれたのよ どうなっちゃうかとおもったのよ」 この年齢の女性にはありがちの羞恥心です 私は人として この感情はとても大切だと思うのです 身支度を整えて医者に診てもらいたい それすらかなわなかった事に ショックを受けているのです 人数をこなすには 1人1人の身支度なんてしていられないわけです もし私が自分の仕事にこだわりを持つとしたら 敬意を忘れたくない ということ 幼児語を使ったり 後ろから手を持って躍らせたり 頭をなでたりは 決してするべきではないということです 機能維持の件は 看護婦と相談してみようかな やってしまうのは簡単です したほうも 仕事をした気持ちにもなるのかもしれません 福祉の難しいところなのかもしれません
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