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コントロール - 2004年12月19日(日)




自分の泳ぎ方は、ある程度心得ているつもりだ。発信と受信、つまりコミュニケーションが根幹であると認識している。
どんなに相手に伝えたいことがあっても、相手に聞くつもりがなければ×。
どんなに相手に聞きたいことがあっても、相手が話してくれなければ×。
形式上「質問した」という行為があれば、「答え」が返ってくる、というものではないのだ。そういう勘違いをしている人がときどきいる。そういうやつのことを「クレクレ君」または「ドロボー」と、心の中はそう呼んでいる。

以前にも何かの機会に話したことがあると思う。「ロボ」という人たちもいる。表情や態度、行動に自分の意思が見られない人たちのことだ。そういうやつらは大体、コミュニケーションという単語のことを誤解(曲解)しているように思う。彼らにとってはコミュニケーションは駆け引きの道具なのではないか、そう思う。言葉で駆け引きをするなんて、国家の外交みたいだ。

仕事上、もしくは生きていく上で不可欠ならばそうする価値があるのだろう。今、僕自身はそうだ。場所によってはある程度は僕の都合で会話を構成できるような態度をとっている。
皆さんはどうだろうか。

押したり、引っ張られたり、駆け引きをしてみたり、遊んだり。
誘われたり、誘ったり、拒絶したり、受け入れたり。

自分は「こう」、したいんだという意思を表現して他人との距離を遠ざけたり近づけたりするコントロールが、人間として学ぶべきものという観点において一部の人間に忘れ去られているような気がするのは気のせいか。悲しいことだ。




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