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会話を - 2004年12月07日(火)




会話を、しなければならない。
ないがしろにしているものたちと。


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他の人がどう思うかはどうでもいいけど、自分の狭い視野の中でも、視野を限りなく広く持つ努力は惜しんではいけないと思う。
たとえば、
他の人から見た世界はどうなっているのか、とか
自分には見つけられなかったものを「おもしろい」と感じている人、その意見とか。

残念ながら、自分の身の回り(世の中)には、

・人の意見が聞きたいとき
→ミーティング(話し合い、会議という名称がついている場合もある)を開く。そして意味のない会話を延々と何時間も続けて、人の意見を参考にしたつもりになる。

という自分勝手に努力の仕方を間違えた人たちがいる。迷惑だ。

偏見かもしれないが、そういう人たちに限って、努力とか協調性とかの重要性について語りたがる。カタルという言葉、お前らのは馬へんの漢字だろ。

問題を解決する方法を編み出すために不可欠なのは、問題の正体を明らかにし、周知することだということがわかっているのか。
そう質問しても「わかってますよ、けど…」。なんだその「けど」は。
いい加減聞き飽きた。
肯定と否定が両立している文章が、明確な意思を語るか。それなら感情をぶちまけるように攻撃してもらったほうがずっと気持ちがいい。言われた瞬間は正直困るかもしれないが。
あんたたちは何も創れやしない。駄作を羅列するだけだ。


おっと、フライングフライング。
俺の思うに努力の仕方とは、結果があって初めて経過が成り立つのであって、問題をはっきり認識していない人間同士がいくら“話し合い”をもったところで、考えるきっかけにしかならない。それは“話し合い”ですることではなくて、“相談”するべき事項。本来“話し合い・ミーティング・会議”ですることとは、折衝、伝達のみだ。そうでなくちゃ何度も意味なく時間の過ぎる会話を重ねる“話し合い”を延々と続けることになる。
もうおわかりだと思うが、俺は(特に“俺”は)、“話し合い”という単語を軽蔑している。
話し合いという単語には非はない。すまん、話し合い。おまえを使って、いらないところへの協調性を強要する『努力云々以前に、考えるという作業を知らない』人間が悪いんだ。俺は理解しているつもりだ。もいっかい謝る、すまん、話し合い。


またまたフライング。どうも感情的だ。
俺が言いたかったものがかなり脱線してしまったが、…んん?かなり脱線という表現はヘンだな。なんかおもしろい。脱線は脱線したら脱線なのに。

…脱線が過ぎたようだ。
他人から情報を得るために、他人を拘束するのは犯罪。
努力は買ってでもしろというが、ここで君、努力という単語の意味を勘違いしていやしないかね?
努力というものは自分の中でするもんじゃないか。履き違えてもらっちゃ困るよ。

言葉では何とでも言える。それは俺自身も同じこと。この、書いていることに対して。これを読んだ人は俺に対して評価をするだろう。それは、結果が導くものだ。

誰にもわからないように努力しようと思う。あ、態度と姿勢で伝わるから、誰にもわかるように努力するのか。言いたいことは同じだけど、わかってくれるかな?
信じてもらえないかもしれないが、俺は努力家だ。


これに関して、今度いつか『積分』について話すときがあるかもしれない。
それではまた。






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