昨日の日記に書いたように衣替えしたのはよいのだけれど、 完全には作業が終わっておらず、部屋が散らかり放題だ。
さすがに気分が悪い。
と思いつつも、床に放置されたものを横目で見ながら思わずネットに逃避したり。
家の中には、なんだか片付けにくい、「ごちゃごちゃしたもの」がいっぱいある。
たとえば雑誌の切れ端とか。 書評に面白そうな本が載っていたら、とりあえず破いてその辺りに放置。 読みたい本リストをテキストファイルで管理しているのだけれど、 そこに記載して初めて切れ端を捨てることができるのだ。 その一手間がかけられず、いつまでもソファの上とか、コンソールデスクの上とか、 あるいは床の上に紙が放置されているわけ。
それらはいつまでも「ソコ」にあるのだ。 私が動かない限り、ね。
この状況は「わやくちゃ」とか(どこの方言?)、 "mess"って言葉がぴったりくる。
そもそも私自身の頭の中が、わやくちゃなんだと思う。 この日記がそれを示す最たるものだ。
本当は、もう少しカテゴリーをきれいに分けて、 英語学習関連の話とか、仕事の話とか、日々の生活の話とか、 整理した方がよいのだろうなぁとは思うのだけれど (ブログのカテゴリ付のような感じで)。
でも、できないんだよねぇ。
あらゆるトピックスは私と言う「わやくちゃカオス」を中心に繋がっているから。
頭が悪い人っぽいなぁと思うけど、 (違う、「っぽい」じゃなくて、実際頭が悪いのよ!) きちんと整理してしまうと、何かが零れ落ちてしまう気がしているのも事実。
話は飛ぶけれども、 ここ1週間ほど、お風呂で『もうひとつの季節』を再(々々々?)読した。
やっぱりクイちゃんは可愛いなぁ。
そして、言語がお鍋の中の春雨のように渦を巻いているのが人間だ、 って考えが楽しいなぁ。と思った。
それでも言語と現実にズレが生じることがあって、 それが顕著なのが季節の変わり目、っと。
最近本当に日が暮れるのが早いなぁと毎日のように驚いているのだけれど、 それもこういうギャップの1つで、 やっぱり言葉だけだと何か抜け落ちてしまう。
でも人間は言語の渦なので(笑)、そのズレすら言語で表現するよりなく、 ましてや日記という言語媒体だとなおさらで、 私は頭が悪いからその違和感を綺麗な言葉で綴ることはできず、 代わりに何かを感じた過程や思考の流れをそのまま提示することで、 僅かながらも自分自身が感じたズレを残せたような気がしているのではないか。
なんてことを考えた。
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