こないだ、本当に言いたかったことまで書けなかったので。
こうするしかないんじゃないかなぁという案。
イジメの存在を全面的に認める。 NHKの道徳の15分番組的なイジメではなく、 リアルに厳しいイジメの現実を認め、 生徒と共有する。
生徒同士のイジメだけではなく、 先生⇒生徒、 親⇒子 のみならず、 上司⇒部下、 夫⇒妻 校長⇒教頭 なんて例も世の中にあることを伝える。
そして、理不尽なイジメに耐える必要もないし、 自分の責任だと思い込む必要もないことを伝える。
複数の救済策をもうけ、それを子供に周知徹底する。 学校の匿名投書箱レベルから、保険医の活用、 フリーダイヤルの番号や、 例えば交番に駆け込んでもいいんだよ、 というような提案まで。
もちろん、担任教諭の数を増やしたり、 地域のボランティア(リタイアしたお年寄りなど)が クラスに入り込んでより細かく目を配る、 とか、大人側から「気付く」仕組みも大切だけど、 やっぱりまずは、 当事者の子供が声をあげやすい仕組みが要ると思うのだけれど。
非現実的でしょうかねぇ。
こういうことをすると、 狼少年的事例も増えるだろうし、 当事者である子供がなんとか声を発したところで、 それを受ける大人の側がダメダメで 全てを滅茶苦茶にしちゃうことも多そうだけど。
今の時代に子供を育てるって、本当に大変だなと思う。
子供がある程度大きくなれば(中学生とか)、 スペンサーがポールにアドバイスしたみたいに言えるだろうけど。
When you're thinking about something important, like if your fahter might try to kidnap you again, it's better to think of what the best thing would be to do if he tried, rather than trying to deceide how likely he was to try. You can't decide if he'll try, that's up to him. You decide what to do if he does. That's up to you. Understand?
で、結局のところ、人生哲学としては、以下のようになります。
A way of living better is to make the decisions you need to make based on what you can control.
ちなみに、この文章を私が書き抜いたのは、イジメとも哲学とも関係なく、 最初の文くらいの比較級を使った文章がスラスラ言えるようになりたい、 と思ったから。
前々から、「長めの比較文が苦手」と書いているけれど、 こういうののことなのだ。
It's better A, rahter tnan B.
という単純な構文なのだけれど、この前に副詞節がついてて、 さらにAはto不定詞で、Bは動名詞。 私の場合、Aを組み立ててる段階で、構造が崩れ去り、 上手くrather than B までたどり着けなくなってしまうのだ。
読むだけだと、すっごく簡単な文章なのにね。
|