CYMA’S MURMUR

2004年11月14日(日)   四十九日


祖母の法要に、田舎まで行ってきた。
車で移動したのだけれど、
途中がすごい大雨で、大変なことになっていた。

法事のあと、みなで食事会をした。
私の知らない祖父母の一面を知ることができて楽しかった。

当たり前だけれど、人は1人では生きられなくて、
沢山の人と関わり、
思い出や何かを共有しながら生きているのだなと
あらためて感じた。



田舎の寺は地域密着型で、
各種イベントの中心になっている。

代々の祖先が眠る墓があり、
大した信仰心はなかったと思うけれども、
きちんと仏壇と墓を守ってきた祖母を、
仏教のしきたりに則って送ることに異議はない。



でも、私の両親のこととなると、ちょっと話が違ってくる。
両親は2人とも家を出ており(父は長男だけれども)、
仏壇を守っているわけでもなんでもなく、
彼らの死後どうするか?というのが少々悩みの種。

色々手続きとか、親戚関係のやりとりとか、大変だから、
あれを私と妹でこなさなくてはならないと思うと・・・

父は無宗教で、「遺灰は海に撒いて欲しい」とか言っていたくらいだから、
葬式をしなくても、仏壇なしでも、気にしないと思う。
大体、戒名だの何だのにお金払うのって、馬鹿馬鹿しい。

  お葬式しなくていいかな?その代わり、知り合いとか親戚呼んで、
  みんなで食事して、お酒飲んで、なんなら旅行のスライドとか上映して、
  もりあがってあげるよ。それでいいでしょ?

って言ったら、「それでいいよ」と父は言った。

  仏壇もいらないよね?

って言ったら、「俺はそれでいいけど、親戚とかに何か言われても平気ならね」

だって。

確かに、叔母なんかは、
「お仏壇もないの?そんなのダメに決まってるでしょ」
って言うだろうなぁ。

うーん。そうすると、葬式も仏壇もいらない、って
遺言に書いておいてもらうしかないな。

勝手な言い草だけれど、
自分の家に仏壇がある暮らしなんて想像できないよ。
毎日ご飯をお供えしたりとかそういうの、あり得ない。
インテリア的にも、仏壇ってマッチしないしなぁ。



一方、うちの母は実はクリスチャンなのだ。

なんちゃってクリスチャン。
大分前に洗礼を受けたものの、もう10年以上教会になんて行っていない。

そのくせ、
「自分が死んだときは、49日、お線香を絶やさず、守りをして欲しい」
なんて言う。
仏教徒じゃないくせに。



お墓とかお仏壇とかは、
確かに目に見える形だから意味があるのかもしれない。
残された人が、先立った人を偲ぶ心を思い出す、という意味で。

でもそこに宗教を介在させるのは、
私にはなんともシックリこないんだなぁ。

おそらく、私達の世代が死ぬ頃には、
もっと死の儀式もフリーになっているだろうと思う。

どういうあり方がいいのか、イマイチわからないけれど。






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