心は止められないのだ。
誰にも。
興味も、悪趣味な好奇心も。
他人事であればなおさら。
ごめんなさい。
多分、私も謝罪しなくてはなりません。
心は努力や理性で制御できるものではないのだから。
だから、せめて行動を制御する。
それは、最低限のマナー。
子供の頃から、 「あなたには優しい心がない」と非難されて育った。
「冷たい」とよく言われた。
悲しい物語を読んで”泣かない”ということで母に責められた。
「泣きゃいいわけ?」と小学校5年生の私は思った。
泣いても現実は何も変わらないのに?
誰かを可哀想だと思い、涙を流すことがそんなに重要なこと?
あなたは泣いたって、何もしないくせに!
同情するだけなんて、そっちの方が失礼だね。
「可哀想だと思え」と言われても、 心を従わせることは不可能だ。 行動を伴わない思いは意味がない。
子供の頃に私の中に上記のような考えが根付いたのも頷ける。
一般的な日常生活においては、 心より断然行動が重要だ。 偽善でも何でも。
ほんの一握りの親しい人たち(家族と親友と恋人)とだけ、 心を分かち合えればいい。
そう思っている私の心は、やはり貧しいのかもしれない。
けれども。
少なくとも想像力を忘れず (想像力がない人に関してはもうつける薬がない)、
自分の行為が無駄に他人を傷つけないか、
という視点を忘れずにいたい。
心は制御できないのだから。
せめて。
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