うつ病で摂食障害などを抱える看護師。色々あるけど、生きて行くのだ!

2002年07月04日(木) 迷いに迷ったあげく・・・

 姉につきあってもらって八王子に行って来た。本当は置いて行きたかった46kgのお荷物もついて来たーー;義父の病院の下見に行くためである。私が勤めている病院の先生がリハビリのできる病院を探してくれて、受け入れてくれるということだったので居ても立ってもいられなくなったのだ。ケースワーカーと相談する前に、まず病院だけでも見ておきたかった。


 姉が乗った電車に途中から乗り、新宿で乗り換えて八王子へ。八王子に行くのは20年ぶりだった。ずいぶん変わったように思う。

 家を出て、車に乗ってから気がついたのだが、昨日いろいろな資料をネットで調べ印刷したのに、肝心の地図を忘れてしまった。なのに、なぜか佐野厄除け大師の地図は入ってるし(T.T)これじゃ意味ないって。方位除けにもなりゃしない〜。

 八王子の駅から病院に電話し、ケースワーカーとつないでもらった。相談ということではなく、病院の見学をさせてほしいと言うと、「御案内いたします」と言われ、病院に着いてからまた連絡することになった。

 病院でそのケースワーカが来るのを待っている間、病院の人達の品定めをしていた。受け付け◎などと最初はつけていたのだが、そのうち、看護婦○が、看護婦大(オデブちゃん)一、正の字で付け始めた。看護婦はなぜかふくよかな人が多い。看護婦美人一、などと変な表になって行った。

 ケースワーカーは、予約をしていなかったにも関わらず、病院を詳しく案内してくれた。思ったよりもいい病院だと感じた。まずリハビリが充実していること。
寝たきりの患者も、専用ベッドごとお風呂に入れる設備があり、車椅子も様々なものがあった。理学療法をしているところも少し見たが、場所が広く取られてゆったりとした空間で訓練が受けられるようになっていた。PT(理学療法士)OT(作業療法士)ST(言語療法士)と、スタッフが充実している。
 病室も新しい棟の方はとてもきれいで、本来義父の場合は2階で受け入れるはずのところが、ベッドが空いていないため、5階で受け入れてくれるということだった。ただ、婦長もOKしてくれたが、ケースワーカーが独自で確約してはいけないことになっているらしく、ここに入院させる気持ちがあるなら、書類を書いて行きますか?と言われた。しかし、私の判断だけで決められるものではない。

 この病院はとても気に入ったのだが、一つの難点は横須賀から遠いこと。それでも義母は「受け入れてくれるならどこでもいい」と言っていたので、すぐに電話をしてみた。義母は今日、横浜の病院に紹介状を持って説明を受けに行っていた。
それが終った後で、もう決めかけている様子だった。私はどうしたらいいのかわからなくなり、ケースワーカーと相談した。「横浜に二ヶ月入院して転院させるというのはどうなんでしょうか」と聞いてみると、「最初が肝心なんです。一日も早くリハビリを開始した方がいいです。そして、最初から最後までトータルで看た方がいいと思いますよ」と言われた。私はその言葉に強さを感じて、義母に「この病院の方がいいと思います」と言った。横浜の病院は受け入れると言っても2ヶ月。八王子の病院は、介護医療病棟を含めると、9ヶ月いられることになる。義母は「それはありがたい」と言った。「ききちゃんがいいと思ったら、そこの病院に決めてくれる?だってこっちもまだ受け入れてくれるかどうかわからないし」と義母に言われた。

 医療費も横浜の病院に比べて少し高いのだが、それも4人部屋の差額ベッドがあるからしょうがないのだろう。

 それと大きな問題があった。今の病院の主治医がなかなか紹介状を書いてくれないこと。なぜかというと、「リハビリは意味がない」と意固地になっている。「脳梗塞で、脳の真中までやられているのでリハビリをしても無駄です。一生寝たきりになるでしょう」と言って、リハビリ目的の病院には紹介状を書いてくれないのだ。この話をするとケースワーカーも困っていた。「紹介状はどうしても必要なものなんですよね。もし、どうしても書いてくれないなら、外来で受診してもらって入院させるという裏技を使わなければなりませんね。でも今の段階で外来受診は無理でしょう」と言う。日曜日に改めて手続きに行くことになっているので、紹介状はFAXでもいいし、それに間に合わなくてもいいと言ってくれたので、私は主人に頼むことにした。

 「ここの病院、いいみたいだからここに決めたいんだけど、紹介状をなかなか書いてもらえないの。だから病院に直接電話してFAXで、E病院のTさん宛てに送ってもらうように頼んでちょうだい」と言った。

 主人が電話した時は主治医も婦長もいなくて、後から婦長から電話がかかって来たと言う。「紹介状をFAXで送りました」という内容だった。主治医は意固地になっていたが、婦長さんは同情してくれていて、「お母さんもお喜びでしょう」と言ってくれたと言う。八王子の親戚がここの病院を勧めてくれたということになっているが、もちろん八王子には親戚などいない。でもKさんいるしね^^(くろ猫飼ってる人)

 
 一つ、おかしくて笑っちゃったことがある。

横浜の病院の先生「発症は二回目ですか?」
義母「いえ、初めてです」
先生「発症、昭和3年 になっていますよ。それに字が汚くてなんて書いているのかわかりませんね」と苦笑。
義母「昭和3年に生まれたんですよ」
先生「じゃ間違えたんですね」


義母は電話でそのことを話してくれて、「よっぽど紹介状を書きたく無かったんでしょうね」と笑っていた。


こうして、私の役目は終った。

 とても疲れて、少しでも早く帰りたかったが、帰ってから父(実父)のお見舞いに行った。ずっと思うように歩けずに食堂でご飯を食べることができなかったのに今日は食堂で夕食を食べていた。それでも今使っている薬の副作用で、体がフラフラしている。私が買って持って行った杖のお礼をちゃんと言っていなかったと言い「ありがとう」と言った。それでもベッドから立つことがかなり大変そうだった。

 そんな中、父も少しずつ変わって来た。体ではなく、気持ちが少し違ってきたように思う。「北海道に行きたい」と言いだしたのだ。夢を持つというのはいいことだ。未来のことを考えられるようになったんだね。

 

 両方の父が病気だったり、両方の母が倒れそうになっていたり、子供がダブルで不登校&反抗期(二葉)だったり、私も悩み多き毎日だが、今日ほど充実した日はなかったように思う。今日はぐっすり眠り、明日は仕事だ〜!





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