2006年08月05日(土) 【 中毒奇譚:6 】 |
【注意書き】
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【店主の経営メモ:本日のお客様──ごきょうだい】
──おめでとう。 ──ありがとう。
──さぁ、感謝と歓喜の歌を。
──この日の為の、歌を。
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彼らが入ってきた瞬間に感じたのは、一体何だったのだろうか。店主は一度瞬き、そしてランプの光に照らされる2人を見る。 店内は冷気を保っているが、外から流れ込んだ夏の熱気と共に入り込んできたものは懐かしさか、何か。それを感じたのは片方──青年に対してだけで、もう片方──少女には感じなかった。しかし、いくら記憶の底を手繰っても、青年に関するそれは見付からない。気のせいかと思い直し、店主は慌てる様子を見せぬように微笑んだ。 「いらっしゃいませ」 どうぞおかけになって下さい。そう告げると、2人はにこにこと笑いながら椅子に座った。お飲物をお出ししますがご希望は、と告げると、青年はオレンジジュースと答え、少女はブラックコーヒーをアイスで、と笑う。二十歳程の青年と、中学生程の少女。普通は逆ではあるまいか、と思いながら、店主はそれでも望み通りのものを入れて差し出した。 「ありがとー」 青年はえへらと笑い、少女はにこにこと笑った。屈託のない笑顔。グラスに手を伸ばし、各々ストローに口を付ける。 「今日は何をお求めで?」 ひとまず店主はそう問うた。すると2人は一度顔を見合わせ、頷いて、そして再び店主に向けて笑顔を咲かせる。 「たんじょうびプレゼント!」 声は綺麗に重なった。よくある要望、店主は更に問いかける。 「どなたのでしょうか? 親御さんか、ご友人か」 「あのね、俺と」 「あたし!」 そしてまた顔を見合わせて、『ねー』と笑い合う。今日なんだ、一緒の日なんだ、だからお互いに交換をするんだ。青年が嬉しそうにそう言った。 「それは、素敵な偶然ですね。失礼ですが、お2人は──」 「きょうだい!」 再び声が重なった。店主は2人の陽気さにやや気圧されながらも考える。きょうだい。兄と妹。 しかし、青年は茶の髪に、少女は黒の髪。2人は何故か黒のレンズのサングラスをかけていたのだが、そこを判断材料から覗いたとしても、造形は余り似ていなかった。異母兄妹か何かだろうかと、店主は脳裏で考える。しかし、それが外に出てしまったのか──あるいは青年と少女が人の内心を読む事に長けていたのか、口に出さずにいたそれは悟られてしまったようだ。 「あのね、きょうだいに定義はいらないんだよ。妹みたい、って思ったから、この子は俺の妹」 「おにーちゃんって思ったから、おにーちゃん」 そーゆー事、と2人は言った。そういうものなのか、と店主はついうっかり納得しかけ、そして我に返り首を傾げる。 「……そういうものなのですか」 「それでいいの」 だって勿体ないでしょう。だって大好きなのに、きょうだいで在りたいのに、勝手にそう言っていたっていいじゃない。 「友達でも恋人でも無くて、きょうだいなんだ」 「同じ日に生まれたの。だからおめでたさは2倍なの」 2人は同時に、空のグラスを店主の方へと突きだした。店主は僅かに微笑むと、2杯目のそれを準備しようと動き出す。 不思議と気分が穏やかだった。無茶苦茶な理論だというのに、否定する事が嫌だと思ったのだ。何より──2人がとても、幸せそうで嬉しそうで楽しそうだったから。何かを待ちわびる子供のように、初めて飛べるようになった小鳥のように。 「それで、プレゼントは何になさるのですか?」 いつもより少し弾んだ声で店主は聞いた。2人は何度目かになるが顔を見合わせて、どうしよっか、と呟く。 「なんか、形になるモノが欲しいだけなんだよね」 「そうそう。お揃いのがいいなぁ」 その年齢差で、男女でお揃い。難しい注文だと店主は純粋に笑う。指輪でもはめますか? と冗談交じりに聞いたら、2人は再び同時に声を上げた。 「指輪はいらないの! ひとつ付けてればじゅーぶん」 そして、ぐん、とそれぞれの右拳を店主に伸ばす。見ると、そこには揃いの指輪がはめられていた。青年の方は蒼い石、少女の方は紅い石がはめられた、少し太めの銀の指輪。ランプの光に石が揺らめいたように見えた。 「……左様で」 思わず上半身を後ろに倒しかけながら、店主は納得したように頷いた。それでは一体どうしたものか、そう考えていると、少女が『あ』と声を上げる。 「どしたの?」 「サングラスー! 新しいサングラスにしない? 今のコレ、ありあわせって感じだから!」 すると、青年はぽんと手を打った。そして、何も言わずに店主の方を向く。となると、店主がすべきはただ一つ。 「……少々お待ちを」 微笑み、店主は立ち上がる。そしていつもの部屋の扉を開けた。 店主にはもう分かっていた。あの棚に、揃いのサングラスが置いてある。あれはきっと、今のものよりもずっと、彼らに似合う事だろう。 目当ての物を手にし、確認した店主は、足早に店内へと戻った。 「多分、お似合いになるかと」 店主はケースを2つ、2人に差し出した。2人は興奮を隠せないままにそれを手にし、せーのと呟きながら開ける。 「わ」 「いいじゃんコレ、ねー!」 店主は勝った、と不敵に微笑んだ。こういう瞬間に感じるのは、このうえない悦びだ。サングラスを取り出し、ランプの光に当てて笑い合う2人は、例え似ていなくとも『似ている』、と思う事が出来た。そう思わせる2人だった。 「かっこいいしね! きっと雰囲気も出るよ! ねね、買い決定だからさ、かけてみていい?」 「あたしもあたしも!」 「ええ勿論。気に入って頂けたのであれば光栄ですよ」 むしろ是非、と勧める店主。2人は躊躇無く、今かけているサングラスを、外した。 「っ、」 ランプの光のせいではない。店主は自身が見たものに、目を見開き息を呑んだ。 空と紅の瞳が、揺らめいていた。 店主の表情に、彼が何を思ったかが分かったのだろう。しかし、青年と少女はそれでも笑った。とてもとても嬉しそうに、笑った。 「似合う?」 店主ははたと我に返る。サングラスをつけた2人がにんまりと笑んでいる。それはとてもよく似合っていて、蒼と紅の瞳を上手に隠した。 「……ええ、とても」 「多分すぐに使わなくなっちゃうんだけどね、やっぱ最初の雰囲気作りが肝心だよ。さっきのだとちょっと、ねー」 「ねー」 彼らの言っている事は分からない。けれど、分からなくとも彼らは幸せそうで、何かを心待ちにしているようで。 「──ごきょうだい、ですか」 店主は、自分がそう問いかけた理由が分からなかった。ただ、聞きたかったのだろう。すると、2人は当たり前のように笑って、再び綺麗に声を合わせ、言った。 「うん!」 今度は、答えられる事はただひとつだった。 「──そうですね」 この青年と少女はやはり、とても良く似ていると、店主はその時そう思った。 「では、僕からのプレゼントという事で、少し勉強致しましょう」 「でもお金は取るんだ」 「商売ですから」 からかうような青年の笑みに、店主は負けじと不敵に返す。 何かが胸の内を巡ったのは、その時だった。
「……ずっと笑ってばかりで──お疲れになりませんか?」
何を聞いているのだろう、と、すぐに思った。反射的に口を押さえて目を逸らす。何かが引っかかったのだ。目の前で笑う青年に、自分は、
『……が今一番……部分と言えば、……なるのですか?』 『笑う事』
何かを、思い出したのだ。目の前にいる青年は、問われてきょとんとしている青年に、自分は、 「会った事──ありましたっけ」 すると、青年はサングラスを外した。空色の瞳がその瞬間、穏やかに揺らめく。 「俺は笑いたいから笑っているだけで、あと会った事は無いよ。──『初めまして』」 青年の笑みに違和感は感じない。隣の少女も同様に。店主は、口元に添えていた手を戻して組み直すと、小さく深呼吸をしてから、いつものように微笑んだ。 「僕の勘違いだったようで、お恥ずかしい。今日はこれからお出かけですか?」 僕はここにおりますが、お客様達にはこの場所は勿体ない。とてもいい天気なのだから、彼らには外にいて頂きたい。何せ── 「世間は今日から夏休みですよ、お客様」 早く会計を済ませましょうか、と店主は立ち上がる。そうだね、と2人も立ち上がる。後ろの棚を探る店主の背に、2つの声がかけられた。
「それを知っているからさ、」 「だから、今日がたんじょうび」
その言葉に、店主はただ、『左様ですか』と微笑んだ。
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