2006年02月08日(水) 【 中毒奇譚:1 】 |
【注意書き】
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【店主の経営メモ:本日のお客様──空色な人】
青年は何故かそこにいて、目の前にあった扉に手をかけていた。簡単に開いた扉の先に、自分よりは少し年上と思える青年の姿を認めて小さく会釈する。 「いらっしゃいませ。どうぞおかけ下さい?」 「……どーも」 青年は素直にそれに従い、椅子に座った。座り心地の良さに驚いていると、テーブルの向こうで青年──店主がひとつのティーカップを取り出した。 「何か飲まれますか? お好みの飲み物を告げて頂ければ出せるかと」 「じゃあ、オレンジジュースで」 「珈琲と予想しておりました」 店主はそそくさとティーカップをしまい、代わりにグラスを取り出した。 「珈琲は苦くて苦手だから……」 「実は僕も苦手です。紅茶が好きですね」 実は店主側の足下には、小さな冷蔵庫が置かれている。この店の雰囲気にはそぐわないので反対側からは見えないようになっているが。そこから冷えたオレンジジュースを取り出してグラスに注ぎ、青年へと差し出した。 「どうぞ」 「どーも」 青年は受け取り一口飲んだ。味に満足したのであろう、無表情だったそれが少しだけ和らいだ。 「今日はどういったご用件で」 「んー、よくわかんない。気付いたらこの建物の前に立ってて、それで入ってた」 「おや、運命的ですね」 そしてなかなか珍しい方ですね、と店主は続けた。青年が店に入ってきた時から思っていたのだが、青年の髪と瞳が、とても綺麗な空色をしていたからだ。顔つきは日本人と思えるのだが、だとすれば余計に珍しい。 「あー、これ? よく言われる」 ジュースを飲みながら青年は自身の髪を指さした。言われ慣れているのだろうなと店主は思う。 「ちょっと、ね」 相変わらずの薄い表情のまま青年は言った。何か事情があるのだろうか、そうだとしても、店主にそこに踏み込むつもりはない。相手から触れてくるのであれば、ある程度は付き合うのだが。 「そうですか。まぁ、これも何かの縁です、一応雑多に品物を揃えている店ですので、何かがあればお出ししますよ」 「店だったんだ、占い師さんとかかと思った」 ぐるりと店内を見回しながら、青年は相変わらずちびちびとジュースを飲んでいる。確かに過去にもそういったことを言われたことがあった。 「外装も内装もただの僕の趣味ですよ。……まぁ、お陰で変な噂が立って、時々苦労もしますけれど」 「……噂で……苦労?」 ええ、と店主は頷く。そして、お茶請けにでもと話してやった。この店に対する世間のイメージとの相違、時々塩を撒いて追い返したくなる心境など。 「あんな扉にしなきゃいいんじゃ」 「それはそれで、茶飲み仲間の人が入ってこれなくなってしまうので」 妙に開きやすい扉に対してのコメントにそう返す。例えば、近所に住んでいて、店の前を散歩コースとしているおばあさん。彼女は店主の煎れる緑茶が大変お気に召している。 「ふーん……ま、客商売ってそういうもんだよね」 「僕も頑張ってそう割り切ろうとしてますよ」 「ん、頑張ってね。 ……あー、そうだ、どのくらいの品揃えなの? 変な噂が立つくらい?」 「ええ、それなりに。突拍子もない事を言わないで頂ければ一通り」 何でも出てくる店、という、とある四次元に繋がったポケットよろしくな店に憧れていたものだから、店主は若くして色々と頑張っていた。販売に知識や資格が必要なものを取り扱いたいと思えば、意地でも修得。そんな事が日常茶飯事となっていた年代もあったものだ。 「何でしたら、突然切れていた事に気付いた時にでもお立ち寄り下さい?」 「何が?」 「お塩や、味噌など」 「あるんだ!?」 改めて店を見回し、どこか乾いた笑い声を漏らしてからようやく、青年はグラスを置いた。暫くの間何かを考えていたようだったが、店主の顔を改めて見てから頷く。 「……うん、店主さんはなんか親近感が沸いてるからいいや。雑談がてらに聞いてくれない?」 「構いませんよ」 親近感の理由は少し気になった。けれど、やはり聞きだそうというところまでは、店主の意識は達しない。代わりにジュースのお代わりを勧めると、青年は嬉しそうにグラスを差し出した。 「俺ね、ちょっと疲れてて」 「お疲れ、ですか……あ、どうぞ」 再びジュースの注がれたグラスを差し出す。青年は受け取ったが、今度はすぐに飲まずに話を続けた。 「うん、ちょっと、知られたくない事があってさ、それでそれを頑張って隠しているんだけど……結構限界の崖っぷちまできちゃっててね、そのうちいきなり叫んで逃げそーで怖いの」 「分からないでもないですね、限界がくると180度回転をして、まるで駄目な人などになってみたくはなります」 「大声上げながらどっかに走っていったりね」 いわゆる現実逃避ではあるのだが。つまるところ、青年はもうすぐ走り出しかねないということだろうか。店主が見る限り、この物腰の落ち着いた青年は、そこまで追いつめられているようには見えなかった。 「限界なのですか」 「うん、限界なの。……嘘だと思っているでしょう、俺は本心は顔に出ないんだよ」 考えていることを読まれてしまい、店主は思わず苦笑した。青年は『いいけどね』と呟くと、続けた。 「困ってるんだ。普段俺が何かを隠す時は、とりあえず笑うんだよ。笑っていればみんなそれに騙されてくれるの。俺はそうさせる為に、普段から陽気に振る舞うワケね。地道な努力の末、俺はいつも笑ってる、悩みのなさそうな奴、って認識を確立させてきたんだよ」 「それはまた、なかなかに大変ですね」 「そうだよ大変だよ。でも俺が笑う事をやめると、一気に色々が崩れちゃうんだ。壊したくないものまで壊しかねないんだよね。だから必死なんだけどさ」 疲れちゃって、と青年は溜息混じりに呟いた。 言われてみれば、青年はこの店に入ってからずっと、ほぼ無表情だった。店主が初対面であることは、青年にとって逆に都合が良かったのかもしれない。息抜きが出来ているのならば何よりである、と店主は思った。 「というわけで、いい胃薬とか、ハーブとか、アロマとかそんなのがあれば」 「余程溜まっているのですね。精神安定求めすぎですよ」 「多分気休めにしかならないけどねー……」 品物自体は店主の後ろにある扉を越えれば確かに用意がされている。それにしても結果溜め込みすぎるだけにはならないか、と珍しく店主は客の今後を気にかけた。 「うぅむ。……お客様が今一番キツイ部分と言えば、何になるのですか?」 「んー……」 青年は再びグラスを手に取りながら思案顔を浮かべた。虚ろにも見える目をふらふらと泳がせ、それからジュースを一口飲み── 「笑う事」 再び店主に目を向けた。 笑う事、単純に笑っているだけでは駄目なのだろう。相手を信じ込ませる程に、楽しんでいる笑みを。何も悩んでいない笑みを。そうでなくてはいけないのだろう。 そうする事を貫きたいと思っている青年を、店主に止める権利はない。 「……ワライタケでも出しましょうか?」 「そんなのもあるの? あーもう、いっそそれでもいーや」 「冗談ですよ(ありますけれど)」 どうしたものかと店主は考える。無理矢理笑わせようとするから悩むのだろうか。そもそも、青年が辛いと言っているそれをさせるのは。 ならば発想の転換である。店主は更に考えた。笑わなくてもよくなればいい。青年が満足をする形で、笑う事をやめられれば。 「んー……」 それから店主は、品物が置かれている、自身の背後にある扉の向こうを思い浮かべた。あそこにはアレが、あそこにはソレが。そして、確かあの棚の上に── 「あぁ」 ぽん、と店主は手を打った。青年はそれに少しだけ目を大きく開ける。 「どしたの?」 「いいものがありましたよ。少し反則技ですから、お気に召して頂けるかは分かりませんが」 しかし多少の自信があったのだろう。店主はうきうきとした面持ちで席を立つと、奥の部屋への扉を開けた。するりと中に入り、扉を閉める寸前に、『少々お待ちを』とうやうやしく告げて微笑んだ。青年は大人しく、ジュースの入ったグラスと共に店主を待つ。 「……まぁ、気休めでも……楽になれれば幸せ……」 誰へともなく呟く。グラスの中で、氷がカラリと崩れた。 「お待たせ致しました」 店主は程なく戻ってきた。軽く会釈をしてみせた彼の腕には、小さな箱が抱えられている。店主はそれを青年の前に静かに置いた。 「こんなもので宜しければ、どうぞ」 そして、自ら箱の蓋を開いた。箱の中を見た瞬間、青年は一度瞬きをしてみせる。出てきたものが予想外のものだったからだ。 「……ゴーグル?」 「ええ、ゴーグルです」 「何でゴーグル?」 箱の中にあったものは、しかりとした作りのゴーグルだった。不思議そうに店主を見る青年に、店主は微笑みを崩さぬままにそのゴーグルを手に取る。 「よく見て下さい、これ、レンズに色が入っているのですよ」 言われてみれば、そのゴーグルのレンズは渋い緑色をしていた。店主が自分の目の前でかざしてみれば、その向こうは朧に映る。 「どうです? これをつけていれば、目だけでも笑わなくて済みますよ」 口だけならば、笑みを作る事も多少楽になるでしょう、目は気を抜くとすぐにバレますけれど。そう店主は言って、青年にゴーグルを手渡した。渡されるがままにゴーグルを受け取った青年は、それをじぃと眺めてしばし黙り込む。 「発想の転換です。……反則ですかね、やはり」 「…………いや、ううん、なんてゆーか……」 ぽつぽつと呟くように、それはやがてくつくつという笑い声に。青年はゴーグルを握り締めた。そしてそのまま俯いて、笑った。 「いいね、コレ。ありがと」 小刻みな笑い声は、何故か泣いているようにも聞こえた。青年は俯いていたから、表情は伺えないけれど。 店主は何も聞かない。ただ短く、『お買い上げありがとうございます』と微笑んだ。
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