いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2015年10月17日(土) 人が去るということ

 生きるということは、離別の繰り返しかもしれない。いままで、いったい何人の人が私のもとを去っていっただろうか…と考えると、11月並の寒さと共に、心が寒くなる。

 私は、相当のお人よしで、世話好きで、のめりこみタイプである。それが、時として「余計なお世話」と感じられてしまい「去る原因」にもなる。

 相談を受けると、親族いや親兄弟よりも真剣に考える。相手が善意に解釈してくれればいいのだが、悪意に取られることもしばしばあった。多くが「親しい間柄」だった方々である。身内以上に真剣に相談にのったらり支援の結果去っていくのだ。

 去った方にも、いささか問題のあるケース(人格的、能力的、精神的)も多々あったと思っているが、この問題の本質をオブラートに隠さず、直球で投げた結果、相手は「ふざけるな。そこまで言われたくない」となる。これは、自分に欠陥があるのかもしれない。と、いささか自虐的になってきた。

 ただ、信念として問題の解決を図る時には、対症療法ではなく、根治療法を施さなければならないと確信している。そのためには、問題の核心、相手の人格形成期の誤り(母親の育て方の誤り)、能力的に無理な挑戦、精神的な問題、等を気づいてもらわないといけない。それには、身内でも言わないような言葉を使うこともある。

 その結果、「いぬぶしはとんでもないヤツだ」と、人が離れていく。勿論、その中には「あなたのおかげだ」と感謝されるケースも多い。もう、孫のいる歳になってしまった。そろそろ、辛口の本気の相談は止めにして、どこにでもいそうな地方議員に成り下がろうか…と、秋風のもと、出来もしない夢を見ている今日この頃である。

(いくつかの具体例をお示しすればいいのだが、個人情報の暴露になってしまうので、抽象的表現でお許し願いたい)


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