家に帰ると家族がいる、電気がつく、水道が出る、温かいご飯が用意されている。そんな何気ない風景が、ありがたいことだと思わせてくれた東日本大震災、と書いたら石原慎太郎都知事のようにバッシングにあうだろうか。
しかし、本当にそう思う。いままで私たちが「当たり前」だと思っていたこと、それは実は、とてもありがたいことだったのだ、と痛感させられた震災でもあった。

上記のような、蒲田駅前の花壇に咲き誇っている花々に対してでさえ、ありがたいなあと想ってしまう。被災地の方々は、きっと春の花々に対してそんな想いを抱くことはできまい。
一体、神はこの震災で我々人間に対していかなる警鐘を与えようとしたのだろうか。我々人間は、万物の霊長として、あまりにも自然や、それを司る偉大なる力(Something Great)に対して不敬ではなかったか。
石原慎太郎都知事は、若干被災地への配慮を欠く発言だったが、ことの真相は彼の発言どおりではないだろうか。「今度の地震は日本人に対する“天の警告”だと思う」
自分だけよければいいという我欲のかたまりのような昨今。学校では売国民主党を支持する日教組教員による「あなたらしければいい」という我がまま教育の結果「人を思いやる」という日本人が少なくなってしまった。
そのような意味では、我が国の国民に対して「大きな宿題」を与えた大震災であった。我々は多くの尊い犠牲のもと、あらためて人間とは、自然との共生とは、と考えなければなるまい。
そのような小さな存在の人間が、自分自身の小さな我欲のため、汲々としている昨今は見苦しいぞ!はんせい!!
|