いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2006年12月31日(日) やっと終わったA君への返済

 平成13年の年末は、泥沼だった。23年間経営した旅行会社(6営業所、売り上げ20億円)を廃業(簡単に言えば倒産)する決意をしたからだ。会社最後の日、12月29日に、地元の中華料理店に全社員を集め、酒食を振る舞い事情を説明した。「皆さんの雇用を守れず申し訳ない」涙を流して詫びた。

 が、一部女性社員は、さんざんと社長である私をなじり、どうしてくれる、と迫る。昨日まで「社長!」と呼んでいた社員さんの豹変ぶりには、戸惑ってしまったが、相手の立場にたてば、止むを得ないと思う。しかし、ほとんどの社員さんは冷静な対応で、その後、一部が新会社をつくり、お客様、什器などを引き継いでくれた。

 そして、翌年、膨大な借金の額に途方に暮れていた私に、小学校の同級生で、現在、中堅建設会社を経営しているA君が声をかけてくれた。「いぬぶし、同級生にこんなこと言うのはおこがましいかもしれないが、生活費ぐらいだったら相談してくれ。」意気消沈していた私には、本当にありがたい言葉だった。

 そこで、A君にお願いをした。生活費はなんとかなるから、旅行会社だった事務所を居酒屋に改装したい。ついては、その改装費を分割払いにしてもらえないだろうか、と。A君は、快諾をしてくれ、私は平成14年5月から「居酒屋のオヤジ」となった。高校生の長男が皿を洗い、妻が料理を考え、中学生の娘が、パソコンでメニューを作る、文字通り、家族総出の店だった。それが、今はやりの「再チャレンジ」の気持ちを起こさせてくれたのだ。

 それから、すでに4年。A君の好意に甘えて、分割払いにさせてもらった改装資金250万円が、今月で完済した。その間、彼からは唯の一度も督促はなかった。ただ、4年にもわたりながら利息はお支払い出来ていない。

 当時、事務所の撤去を手伝う、と連絡をくれた荒木秀樹区議、事務所がないなら使え、と社員寮の一室を無償で貸してくれたIさん。他多くの友人、知人の支援で立ち直った人生を年末になると、ありがたく振り返る。ありがとうA君。これで、やっと同級生に戻れるよ。


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