主婦な私のつぶやき。。...はるっち

 

 

私にとって姑とは・・(その2) - 2002年06月18日(火)

結婚すると決まってから4ヶ月後に結婚式をし、ありがたいことに新婚旅行も行かせてもらった。

姑の命はあと2ヶ月・・、そんな中旅行になんか行っている場合ではないと思ったのだけれど、姑は一生に一度だけなんだから、行ってきなさい。家のことは私がやるから心配しなくていいからね?と、私たちをアメリカへと送りだしてくれた。

海外から何度か自宅に電話をすると、必ず義妹(小姑っていいかたは、彼女には似合わないので妹にしますね)が電話にでて、お母さんは大丈夫だから心配しないで楽しんできてね♪と言い、姑が電話にでることはなかった・・。

その時すでに姑は、入院していた。でも、心配かけるまいと舅も義妹も姑自信もそのことを、出発前の私たちに話はしなかった・・。


そして、帰国後、姑は戻っていた。どうやら、これからこのような短期の入院を繰り返すらしい。

それから、私の妻として、嫁としての生活がはじまった。

姑はとても料理上手だったが、私は何もできなかった。そのため最初は姑が一緒に夕食の準備を手伝ってくれた。そのうちに私もだんだん覚えていった。

そしてだいていの日曜日は
主婦だって日曜日くらいは休まないとね?それに、おいしいものやちょっと変わったものとかは自分で食べてみないと作れないしね?
そういって、夕食は外食につれていってくれた。

ほんとに私達は一緒に買い物にいったり、姑のお友達の家に一緒にいったり、とても仲の良い嫁と姑だった。

姑は友達にほんとにいい子だよ〜。息子とはるちゃんがケンカしたら、息子にでてってもらわないとね〜(笑)と、いってたくらいである(照)

結婚して一緒に暮らしだすと、いくらいいお母さんやお父さんでも変わるわよ。
と、よく耳にしたがそうではなかった。

時はあっというまに過ぎ・・告知をうけてから半年がすぎた。
しかし、姑は以前より元気になったようだった。

どうやら、私のおなかに一つの命が宿ったことが、生きがいになったようだった。
とても、子供好きの姑である。きっと、孫の顔を一目でも見たかったに違いない。

私が妊娠していた時は、姑はさらに気をつかってくれ、こんな優しい言葉も掛けてくれた。

気持ち悪かったら無理しなくていいから横になりなさい。ご飯はお母さんが作ってあげるしね?

自分だって、大変だろうに・・。
きっと、気分の悪い時を十分すぎるほど味わってきている人だから、人の痛みがいたいほどわかったのだろう。。


そうこうしていたわってもらっている間に、長男がうまれ、今度は孫の成長が生きがいなったようで、姑はますます元気になったようにみえた。
孫をみせれてほんとによかった・・。

しかし、それから2年後に姑は帰らぬ人となってしまった・・。

でも、余命半年といわれていても、人は気のもちかたひとつ、生きがいをみいだすことで、奇跡をもたらすこともできると実証されたような気がする。

たった4年だったけれど、姑と暮らしたおかげで、私はかけがえのないものを得た様な気がしている。それは料理だったり、、作法だったり、、でも、一番心に根付いているものは

人に優しくされると、自分も人に優しくなれる・・。

つまり

自分が人に優しくすれば、相手も自分に好意的である。

と、いうことである。

ほんとうに、私にとっていい姑だった!いや、多分あんな素晴らしい姑は私だけでなく他の方でもそう思っただろう。。。

その後、舅が残ったわけだが、お風呂掃除はしてくれる、ゴミだしはしてくれる、朝ご飯のスイッチまでも入れてくれる(我が家はガス釜なのでタイマーができない)とても助かる舅だった。

でも・・その舅も今は一緒には住んでいない。もちろん追い出したわけではないが・・(笑)







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でも、今から同居生活ができるかといえば・・多分もう出来ないな。。







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やはり親と同居するなら最初からしたほうが、うまくいくと私は思う。


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