パラダイムチェンジ

2006年11月22日(水) ミュージカル「RENT」

今回は演劇ネタ。
見てきたのはミュージカルの「RENT」
今年映画を観て、すごく面白かったので、ミュージカル版も観たく
なり。
6月にNYに行った時も、ブロードウェイで観ようかな、と思ったんだけ
ど、その時には秋に日本で公演が行われることも知っていたので、他の
作品を見ることにして。

今から考えると、安売りチケット販売のTKTSで買えば、日本の半額で
観られたわけだけど、でも字幕無しだし、微妙な感じだったかも。

というのは、結局、字幕無しで、台詞の英語を理解するのはやっぱり
難しかっただろうな、と思うのだ。
ただ、段々と台詞に慣れてきて、聞き取れるようになってくると、
字幕って、英語の台詞の半分くらいの意味しかないのもわかり。

で、おそらくこれがブロードウェイでの上演では、多分笑いが起こるん
だろうな、という台詞(大体において不適切な表現っぽい)のニュアンス
とかまでは、字幕では表現できなかったんだろうな、位まではわかった
けれど、その先を理解するのには、まだまだ時間がかかるというか、
結局、アメリカに住まなければわからないのかも。

だから、多分、ブロードウェイで観た場合には、台詞一つ一つで、
どっと周囲の観客がうけて、え、何?どこが面白いの?と思いつつ、
にぎやかな雰囲気で観られただろうし、逆に日本では、その分、一つ
一つのパフォーマンスとか、歌のパートをじっくりと聞くことができて
よかったような気もするのである。

で、ミュージカル版を見てきて、思った感想は、「いつのまにか、NYの
雰囲気になっていることにビックリ」である。

舞台自体はそんなに大きくないし、派手な舞台展開があるわけでもない
この作品。
だけどステージの上には、このミュージカルの作者である、ジョナサン
ラーソンの生きていた時代のNYの雰囲気が、段々と感じられるように
なるのだ。

その、ジョナサンラーソンの生きていた時代のNYの雰囲気とは、じゃあ
何なのか。
それは、HIVであり、貧富の格差であり、ドラッグであり、危険な街で
あり、だけど夢を実現するためにもがき、あがいている若者たちの姿で
あり。
そのうちのほとんどは、今もNYにあるんだと思うけど。

この作者のジョナサン・ラーソンは、このミュージカル「RENT」が初演
される直前に、不慮の死を迎えてしまう。
だから、彼は自分の成功を知らぬまま、亡くなっているわけで。

だからなのかは、わからないけれど、この作品には、そういう成功を
夢見る若者としての、ジョナサンラーソンの思いというものが、作品の
至る所にあふれていると思うのだ。

それは曲のスコアであったり、台詞の一つ一つであったり。

それらはおそらく、まだ自分の成功を知らないジョナサン・ラーソンの
周りには、ありふれていたエピソードばかりなのかもしれない。
だけど、それらのリアルな状況・台詞の積み重ねが、舞台上に夢はある
けど貧乏な、NYの下流社会の生活を生き生きと蘇らせていると思うので
ある。

でね、それって、今現在、格差社会になりつつあるとは言われている
日本でも、まだどこか他所の世界の話なんだろうな、とも思うのだ。
でも逆にいえば、日本の夢見る貧乏な若者たちにとっても、このギラ
ギラした感じとしか今は表現できない、夢を持った若者たちの姿という
のは、共感できるものの様な気もするし。

それが何となく自分のイメージする、NYのイメージなのかもしれない。

私がこのミュージカルのスコアで一番好きなのは、映画では冒頭、
舞台では二幕目の冒頭にかかる歌である。

この歌の中で、ジョナサン・ラーソンは「525,600分…1年という時間を
どうやって計ろう」という詞をつけている。
生きていると、結構1年間という時間はあっという間に経ってしまう。
だけどそれを分で数えたら525,600分という、膨大な数の時間になる。

その膨大な時間の一瞬、一瞬を、愛という単位で、愛に包まれながら
今という瞬間を生きていこう、というのが、この詞の意味だと思う。

この作品は、そういう愛――それは、恋人に対する愛だけではなく、
仲間に対する愛、隣人に対する愛、そして自分自身を好きでいるという
愛――にあふれた作品なんだと思う。

今回、今の時期に見ることが出来て、本当によかったな、と思える
作品でした。
またいつか、今度はブロードウェイでできたら観てみたいと思います。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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