掛川奮闘記

2007年03月01日(木) 070301_北海道の道路開発ネタ

 朝外は、ふわっと軽い雪が積もっていました。気温も低い日が続いていますが、今日からは三月。
 鼻がむずむずしてきました。そろそろ花粉の飛び交う時期かな?

【北海道の道路開拓の歴史】
 明日の観光ガイド検定へのお話のために、あらためて道路開発の歴史を紐解いていましたが、調べれば調べるほど面白い話題がでてきて嬉しくなってしまいます。

 国道230号線は、札幌市のど真ん中を南に向かい、石山〜簾舞〜定山渓〜中山峠を経て洞爺湖畔へと向かう、南側への交通の大動脈ですが、この歴史がまた面白いのです。

 明治維新で徳川時代が終わりを告げたときに、困ったのは浄土真宗の東西の本願寺の一団でした。

 なにしろ、浄土真宗は徳川幕府からは随分と厚遇されたので、明治新政府からはにらまれました。下手をするとお取りつぶしになるかも知れない、という噂まで流れました。

 そこで教団の人たちは戦々恐々としていたのですが、何しろお金のない新政府の側ではそういう状況を背景に、さまざまな事業を教団に寄付させてやらせることにしました。

 北海道の道路開拓に当たっては東本願寺がその役割を受け持つことになり、形としては東本願寺がやらせて欲しいとお願いをする形で、道路開削を行うこととなったのでした。

 札幌から有珠へ抜けるこの道路は、かつては近藤重蔵が踏査をし、また松浦武四郎も通り、「ここに道路ができれば随分便利になるだろう」といったことを書いていて、踏み分け道のようなルートが元になったようです。

 そして、この事業の責任者となったのが弱冠19歳の現如上人で、彼は明治3年に函館から小樽回りで札幌に入り、札幌を検分し、今の南7条西8丁目付近で、時の政府から下賜されたその地に管刹(寺)が設立されたのは、検分後まもなくで、そこが「札幌別院」と改称されたのは、明治9年のことである。

 現在そこには「東本願寺」の「真宗大谷派札幌別院」が建っているのですが、よくよく考えてみると、私の次女が通ったのはここにある大谷幼稚園だったのでした。

 ふーん、そういうことで建てられたお寺だったのですねえ。

    *   *   *   * 

 道路の方は、明治3年から4年にかけて突貫工事で草を分け木を切り、木橋を架け、それまでの踏み分け道を馬が通れるくらいにまでしたのでした。そしてこのことから道路は本願寺道路と呼ばれるようになったのです。

 やがてこの道路は少しずつ拡幅が行われて行きますが、山道であるためになかなか本格的な工事ができないままになりました。

 自動車交通が本格化し、冬期の交通止めを解消すべく本格的な道路整備が行われたのは、北海道開発局の手による昭和44年の本格開通を待たなくてはなりませんでした。
 
 道路一本とってみても、近藤重蔵や松浦武四郎に始まって、東本願寺の僧侶達、アイヌの人たち、そしてわが開発局まで幾多の苦労と歴史があるのです。

 ふるさとの苦労談にも観光のネタはあるというお話、いやそういう歴史にこそ他にはない地域の物語があるということです。

 勉強しなくちゃ駄目だなあ。
 


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こままさ