掛川奮闘記

2007年01月26日(金) 070126_風見しんごさんと「六験」

 今日は一転して快晴。うっすらとした雪が冬らしい朝でした。

【六験】
 最近テレビを観ていて心を痛めたのが、タレントの風見しんごさんの長女で十歳の「えみる」ちゃんが交通事故で亡くなったという話。

 突然愛娘を失った悲しみに暮れながらも、「娘のために加害者を憎まない」と言った彼の姿を立派だと思ったのは私一人ではないはずです。

 悲しみや憎しみ、怨み、妬みなどの負の感情を回りに振りまくことを慎むという美学がいつしか失われ、そんな様子をテレビなどのメディアが平気でばらまく今日、なにが美しく何が尊いのか、という価値観は、よほど自らがしっかりと持っていないと、品格は育たないことでしょう。

 そういう風潮にあって、風見しんごさんの態度を私は本当に美しいと思ったのです。

    *   *   *   * 

 ところで、そのような悲しみにどう立ち向かうべきか、という価値観がどこにあるかと思っていて、またまた安岡正篤先生の「十八史略」(PHP文庫)を思い出しました。

 このなかで『呂覧』の中に『六験』ということが書かれている、という紹介があるのです。

 『六験』の「験」とは「ためす」と読んで、六種類の出来事にあったときに人がどのように振る舞うかをためす、という人間観察の方法です。

 その1は、『之を喜ばしめて、以てその守を験す』です。
 喜びというものは、我々の最も本能的な快感で、人間は嬉しくなるとついだらしがなくなり、羽目をはずすものです。しかし我々には外してならぬ枠があるのであって、これが守なのです。喜んだときに羽目をはずすかどうかで人間が分かると言うことです。

 その2は『之を楽しましめて、以てその僻を験す』
 喜と楽には違いがあって、喜は本能的な感情で、これに理性が加わったときにこれを楽という。理性が加わるとそこにそれぞれの癖が出てくるもので、これを僻(へき)という。僻する人はいろいろのことに障害が多いものです。

 その3『之を怒らしめて、以てその節を験す』
 怒りというものは、非常に破壊力を持っている。感情の爆発だからそれをこらえる節制力を持っているのかどうか、ということを験す。

 その4『之を懼(おそ)れしめて、以てその特(独)を験す』
 特は独に同じで、絶対性・主体性・独立性を意味する言葉です。単なる多に対する孤独の独ではなく、脅かされておそれおののくと、誰かに頼りたくなるもので、そのときに銅自分自身をしっかりと生きるか、ということが験されます。

 その5『之を苦しましめて、以てその志を験す』
 苦しくなると理想や志を投げ出してすぐに妥協してしまうものですが、その志の強さを苦しませることで験すのです。

 そして最後にその6『之を哀しましめて、以てその人を験す』
 悲哀はその人柄全体をよく表すもので、小人には小人なりの悲しみ方があり、大人には大人なりの悲しみ方があるものなのです。

 人生の中の困難や湧き上がる感情に対して、これらの視点で自分自身を常に視るということを普段に行っていれば、自己の修養に必ずや繋がるはずです。

 風見しんごさんの悲しみ方にすぐれた器量を視るのは、こういう価値観があるからなのでしょう。

 こういう価値観を伝えていきたいものですね。


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