| 2006年12月29日(金) |
061229_お正月の迎え方 |
穏やかな一日。今日から家の大掃除です。
【もうすぐお正月】 常連のmotoさんからコメントをいただきました。
>ところで、神社フリークのこままさ様、お正月が迫って >おりますが、「正しい初詣の仕方」というのはあるので >しょうか?あるいは、「よくある勘違い、間違った振る >舞い」など初詣に関わるうんちくを教えていただけますか?
おぉ!これはまた時宜にかなったご質問ですね。しかしこの簡単そうな質問にはいろいろな答え方がありそうです。
例えば【参拝の仕方】という限定的な事で言えば、神社本庁のホームページをごらんになって、「手水の取り方」「参拝(二礼二拍手一礼)の仕方」などを勉強されると良いでしょう。
よく神社で参拝者を見ていると、皆が必ずしも二礼二拍手一礼をしているわけではなくて、ただ手を合わせてお祈りをする人を見かけることが確かにあります。
「おいおい、それはお寺さんでしょう?」と思ったりもするのですが、まあ神様は寛大ですから、作法が間違っているからといって罰を下すようなこともありませんし、些末な作法よりも、そうやって神社へ来てくれる気持ちの方を嬉しく思ってくださることと思います。
細かいことを言うと、参拝の際は神社の境内の真ん中を歩かないとか、時計回りに左側を歩くとよい、などと言われます。 境内の真ん中は「正中」と言って神様がお通りになるところなので、下々の者は通るべきではないと言われます。
また、真ん中を歩かないとしたら行くときは左側を歩き、参拝の後帰ってくるときも左側を歩いて戻ってくると、境内を時計回りに回ってくることができるということです。 もっとも、ぎゅうぎゅうに混んでいるときにはそんなことはできないかもしれませんがね。
作法は「そのような所作で行うと品がありますね」くらいの気持ちで行えばよくて、「俺はやり方をしっているのだ」と驕り高ぶらないこと、そしてお願いなどではなくこうしてここでご挨拶が出来ることに感謝をするという気持ちを大事にすればよいのだと思います。
【初】詣と言いながら、それっきり神社に行かないという人もいるかも知れませんが、その年の節目節目にご挨拶に行かれるとよいでしょう。
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それよりも、神道を考える上でもっと肝腎なことは、実は『神様は普段は神社にいない』という意外な事実を知っておくことではないでしょうか。
今でも開通式や結婚式などで神事を行いますが、その流れはまず、『修祓(しゅばつ)』で参列者を清め、その後で『降神(こうしん)の儀』により神様に降りてきて頂くのです。
降りてきてくださった神様には、依代(よりしろ)にしばらく御滞在頂いて、その間に『献餞(けんせん)』と称して、供えてある『種々の味物(くさぐさのためつもの)』を味わって頂きます。
そして祝詞のなかでお願い事を述べると、神様のお食事の時間も終わりで、これを『撤餞(てっせん)』と言います。神事の後にくださる御神酒や食物に撤餞と書かれているのは、神様に食べて頂いたものを分けてもらっているという意味。
そして『昇神の儀』によって神様にはお戻りをいただく。これが神事の一連の流れです。
『神様が普段はいない』というのは神道にとって基本的な考え方で、原始神道では神聖な場所やものに神様が降りてくる、と考えたようです。やがてそれが仏教の伝来によってお寺の建築に影響を受け、建築物としての神社という形が成立したというのが定説です。
つまり神社と言えども普段は神様がいないのです。そして何か神事を行う度にお越しいただく専用の場所が神社なのです。これって案外知られていないのではありませんか?
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「神道の逆襲」(菅野覚妙著 講談社現代新書)という本があって、この中で著者は、「人々にとって神様はある時、突然、どこからかやってくる者であった。神様がやって来たことがわかると、人々は神様をお迎えし、適切な応対をした後に、再びお帰りいただく。これが日本人が古くから行ってきた、神様とのおつき合いの基本であった」と述べています。
かつて三波春夫さんは「お客様は神様です」と名言を残しましたが、実は「神様はお客様です」ということもまた真理なのです。
新しい年を迎えるということは新しい神様をお客様として迎えるということ。
家を汚くしておいてお客様に見られるのは恥ずかしいでしょうから、きっと人間のお客様を迎えるときも、家は掃除をして片付けをするはず。
神様を見えないお客様として迎えるとなれば、家を見られて恥ずかしくないように大掃除などして清らかな家と気持ちになっておくことは、ごく普通のことだということがわかるというものです。
「初詣の仕方」にこだわるよりも、初詣やお正月を迎える気持ちのお話になってしまいました。
さあ、明日も大掃除の残りをしなくては。
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