| 2006年06月17日(土) |
060617_詩人茨木のり子さんのこと |
天気予報は今日も雨、日中ときどき強く降るいやな雨。すっきりしてほしいものですが。 【詩人 茨木のり子さん】 ある事業を経営している友人にから、「経営者に対する朝セミナーをしているんだけど、聴きに来ないか?」と誘われたので行ってきました。
集合時間は朝5時45分で、6時からの一時間をセミナーに充てて、その後は朝食を食べて出勤というわけです。こんなセミナーを一ヶ月に一度開催して、倫理観溢れる経営とは何かということを勉強しているというのですから、優秀な経営者は心構えが違うものだと感心しました。
今日のセミナーはいろいろな行事が重なって参加者は少し寂しかったですが、朝礼の後で会の歌を歌い、気持ちを整えます。会の進行も型や形を実に大事にしています。 今日の講師の方は東京の方なのだそうですが、冒頭で前回北海道の函館に来たときの印象を話されました。
「実は私が前回2月に函館を訪れたときの事ですが、函館空港に降りたって地元の新聞を買い求めました。私はいつも地方を訪ねたときは地元の新聞を買う事にしているのです。そうしましたところ、一面の下の方に書かれているコラム欄に、東京で読んだ新聞と同じネタに基づく記事を見つけたので大変印象が深かったのです」
「その記事とは、詩人の茨木(いばらぎ)のり子さんが亡くなったという記事でした」
私は知らなかったのですが、茨木のり子さんは1926年生まれで戦中・戦後を通じて日本の詩の世界をリードした代表的な女性詩人であり、童話作家、脚本家だったのだそうです。そこで講師の先生は代表的な詩を二つ引用してくださいました。
寄りかからず 茨木のり子
もはや できあいの思想には寄りかかりたくない
もはや できあいの宗教には寄りかかりたくない
もはや できあいの学問には寄りかかりたくない
もはや いかなる権威にも寄りかかりたくない
ながく生きて 心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある
寄りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ
茨木さんの関連資料をネット上で読んでみると、やはり戦時中に一億総玉砕を叫んでいた多くの人たちが戦後はころっと民主主義だ、あの戦争は間違っていたんだ、と言い出すということを目の当たりにして、自分自身の違和感を大事にするということの意味を強く問いただす内容になっています。
これはこれで直接的な言葉を使わずに軟弱な世間に対する強烈な批判なのかも知れません。
そしてさらにもう一つご紹介しましょう。
自分の感受性くらい 茨木 のり子
ぱさぱさにかわいていく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを 近親のせいにはするな 何もかもへたくそだったのはわたくし
初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
最後の「ばかものよ」に作者はどのような思いをこめているのでしょうか。そしてこういう詩や言葉に出会ったときに私たちはそれを読み流すのか、それともそこから何かを得るのか、という態度の違いの積み重ねが自分たちの成長の差になって現れるのではないでしょうか。
本屋さんで茨木さんの詩集を探してみてはいかがでしょうか。
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