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2003年01月14日(火) 真実を見つめる勇気と覚悟

 真実を見つめる勇気と覚悟、教育の本質は
これにつきる。
 何が真実かを見極めるのは実はちっとも難
しくない。
 ただ自分にとって都合の悪い真実を直視す
るのが難しいだけである。

 幼稚園から小学校低学年にかけてこの能力
を身につけないと、一生かかっても一人前の
大人にはなれない。

 誰とでも仲良くする必要など少しもない。
 何も世界中の人を皆好きになる必要はない。
 嫌いなら無理に関わることはない。
 ただ放っておけば良い。

 もし君がよい人間なら、君に嫌われるよう
な奴は放っておいてもいずれ碌な死に方はし
ないから安心して良い。

 もし反対に君がくだらない人間なら、君に
好かれるような人間は碌な者ではないし、む
しろ君に嫌われる人間は幸いである。
 君や君の好きな連中を尻目に、君の嫌いな
人々は君から嫌われれば嫌われる程、益々幸
せになれる。

 だから嫌いな人間にやたら危害を加えたが
るのは、自分が取るに足らない哀れな人間で
ある、と自ら証明している様なものである。

 ただそれだけのことだと思えば良い。

 人を嫌ったり憎んだりすること自体が悪い
わけではない。

 悪いのは、嫌いだというだけで、あるいは
好きだというだけで、不公正がまかり通って
しまうことである。

 ギャンブルやポルノ産業が栄えるのは、大
衆は馬鹿だからギャンブルやポルノが大好き
で、たとえなけなしの金でも喜んで注ぎ込ん
でくれる、と資本家がよく知っているからに
他ならない。

 何も彼等の趣味が低俗なわけではない。

 賭博や裸よりも金自体が好きな事を、より
一層低俗と捉えるなら、あるいはそうとも云
えるかもしれないが。

 何れにせよ、大衆がポルノよりも百科事典
が大好きで代価を惜しまぬとしたら、資本家
達は競って良質な百科事典を出版し、やはり
金持ちになっているはずである。
 資本家は百科事典を好きでも嫌いでもない
が、利益は大好きなのだから。

 そして大衆はといえば、たとえ金はなくと
も高雅な一生を送ることもできる。
 そうならないのは、単に自由主義世界の人
々の正直な好き嫌いの結果によっている。

 どんな勢力も他の大多数から激しく嫌われ
てしまえば、別段の攻撃を受けずともやがて
は孤立して滅んでしまう。

 結局、世界中の小さな子供達が何を好んで、
何を嫌悪するかで、地球の未来は決まってく
る。

 誰とでもみんなが仲良く手を繋いで…など
とばかげたことをいつまでも言っていないで、
幼稚園の砂場から、子供達に嫌うべきは嫌い、
軽蔑すべきは軽蔑するのがあたりまえなのだ、
と安心させてやるべきである。

 人を好きになったり、愛することは教えな
くとも勝手におぼえる。

 同様に人を嫌いになったり、軽蔑すること
も、わざわざ教える必要はない。
 人を嫌いになったり、軽蔑することがさも
いけないことであるかのような誤解さえあた
えなければ良い。

 誰とでも仲良く、と教えるから、糞野郎を
糞野郎と思うこともできない。
 ただ、糞野郎だというだけで石をぶつける
のも同じ糞野郎だと教えれば良い。

 ああ、何だ糞以下の人間かと思えば陰湿な
いじめに走ることもない。
 たとえ陰湿ないじめに走る者がいたとして
も、そんな奴は糞以下の人間と同じ様に軽蔑
されて誰からも相手にされなくなれば、それ
で良い。


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