店主雑感
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2002年05月12日(日) 自由

 頭の悪い子供達の望みというのは一様に
「束縛」されない「自由」で「自分らしい生
き方」であるが、そもそも人間は誰でも自由
で自分らしい生き方しかできないのであって、
現に誰だってそうしているのである。

 勉強をしたくはないが親や教師がうるさい
から仕方なく勉強する、という子供はまさに
自分らしく生きているのだ。

 あくまでも親や教師に反抗して勉強しない。
 あるいは勉強するふりだけして適当にごま
かす。
 選択肢ならいくらでもあるが、どんな子供
も自分なりにそれぞれ結果を予測した上で、
もしくは予測するだけの頭がなくて、一番自
分らしい道を自由意志で選んでいるのにほか
ならない。

 人は誰でも自由意志によって、置かれた状
況の中で自分なりに最善と思われる選択を不
断に行って生きていくほかはない。

 どういう状況下に産まれ落ちるかは誰にも
選べないが、いったん生まれたからには不断
の選択を死ぬ迄続ける以外にどんな道もあり
はしない。

 誰も強制してくれないし、誰も自分に替わ
って決めてくれないことこそが人生の本当に
辛いところである。

 銃や剣で脅されるなら、抵抗して死ぬにせ
よ、屈従して堪え忍ぶにせよ、自分らしく運
命を決する、という点では納得もいく。

 しかし、平和ぼけした先進国の中流家庭に
あって容姿、才能、共に見るべきものを持た
ない子供達が勉強机に向かって、ぼんやりと
人生を思う時、束縛されず自由であることは
むしろ堪え難い拷問でしかない。

 そこで彼等は無理にも自分は何ものかによ
って束縛され、自由を奪われている、と思い
込もうとする。

 だから自分はいまだに真価を発揮すること
ができないのだ。

 そう思えば俄然そんな気がしてむかついて
くる。

 自分が望むものが何かすらつかめない不安
定なティーンエイジャーの焦躁、というテー
マは映画などでも好んで取り上げるところで、
必ず観客の共感を得られる。

 現代ではティーンエイジャーに限らずいい
歳をした大人がある日、ふと、「自分を見失
っていたことに気付いた」と称して自分探し
の旅に出る。
 或いは破局に向かって破れかぶれに突っ走
る、といった主題が大流行りである。

 長い人類の歴史の大部分は気紛れな大自然
の脅威から心細い命を守ることであり、ごく
近代においては強国の植民地支配に抵抗する
ことであったりと、ほぼ99・9…%までが
命がけの闘争の連続といっていい。

 その気の遠くなるほど膨大な時間と流血の
はてに、ようやく到達した現代のたかだか数
十年間で、大の大人までが自由を持てあまし、
ニキビ面の憂鬱に恥ずかし気もなくうつつを
ぬかす。これではあまりに情けなくはないか。

 そして、そういう情けない大人達がさも得
意げに口にする言葉が個性とか独自性なので
ある。

 曰く、既存の価値観に囚われることなく、
柔軟な発想をしろ。
 まずは常識を疑ってかかれ。
 人と違うことを恐れるな。



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