店主雑感
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2002年05月10日(金) 人間の値打

 頭脳も容姿もぱっとしない子供が、必ずし
もスポーツや絵の才能を秘めているわけでは
ない、だからといって、少しも怪しむにはあ
たらない、むしろ欠点を補ってあまりある美
点が、どこかにきっと隠されているはずだ、
と考える方がよっぽど不健全で怪しい。

 二人の人間がいれば、必ず、優劣美醜の差
は存在する。
 主観的相違くらいでは、とうていごまかし
きれないほど、人間一人一人には遥かに大き
な客観的相違が存在している。
 人間の値打には、能力や容姿もふくめて、
大きな差があるのがあたりまえで、そんなこ
とは子供の目にも明らかで、隠しようがない。

 危険な非加熱血液製剤を市場へ放置するこ
とが、何をもたらすか充分に認識していなが
ら、企業利益の優先を計り、ことが露見する
に及んでは、ただもうひたすら己の保身しか
考えない学者や役人などは、どう見ても援助
交際で小遣いを稼ぐ頭の足りない少女達以下
の存在であろう。

 人間にもピンからキリまであるという事で、
こんなあたりまえな事を慎重に避けて通ろう
とするから子供に何も教えることができなく
なる。

 世の中にはあきれるほど高潔に生きている
人もあれば、人間のくずとしか言い様のない
最低の連中までがいる。

 夏目漱石はこう言っている。
 「総括すれば快不快の二文字に帰着致しま
す。好悪の二字に落ちて参ります。即ち善に
逢って善を好み、悪を見て悪を憎み、美に接
して美を愛し、醜に近づいて醜を忌み、壮を
仰いで壮を慕い、弱を目して弱を賎しむの類
であります」

 現代人の最大の勘違いは、善を好み、美を
愛し、壮を慕うのは、まあいいとしても、悪
を憎み、醜を忌み、弱を賎しむ、という後の
半分は、ちょっといけないことのように感じ
てしまう点である。

 今日の小学校では、人を軽蔑するのはいけ
ないことであるかのような誤解を子供に植え
つけている。
 人を尊敬することがある以上、軽蔑するこ
とがあるのは当然である。
 いけないのは、間違った人物を尊敬するこ
とであり、間違った人物を軽蔑してしまうこ
とである。

 腰の退けた教師達は言う。
 「何が善で何が悪か、何が美で何が醜か、
などとは、一概に言い切れるものではない」
 「過去の時代に尊敬された人物でも、今日
少しも評価されなくなった例、またその逆の
例もたくさんある」
 「何事によらず、先入主を持ってのぞむの
はよろしくない」

 そうだろうか、人間が生きていく上で、人
や物事に対し、快不快、好悪の感情を抱くの
は当然なことで、むしろいつもニュートラル
な状態でいるように努める、という方が極め
て不自然であろう。

 生きるに値しない軽蔑すべき人間なら、い
くらでもいる。
 ただ、むやみに危害を加えていいはずがな
いのは、秩序の問題であって、軽蔑すること
自体が悪いわけではない。

 軽蔑すべきは、腹の底から軽蔑することを
教えないで、いくら子供達に愛だの優しさだ
のと言ってもはじまらない。


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