少年 - 2005年01月20日(木) 私の家は日本家屋が建ち並ぶ中で不似合いな洋館でした。 それは父が外商をしていたので、その影響もあったの だと思います。 父はほとんど外国で過ごしていたので、この様な家を造ったのだろうと 幼い私にもわかりました。 私は、ほとんどこの家から出る事もなく、 友達はお手伝いのキクさんとヨウコさん位しかいませんでした。 学校には行かず、今で言う家庭教師が来てくれていました。 たまに父の関係のパーティがあって、それに一緒に連れていかれも しましたが、歳の近いコに話しかけられても何も言えずに、 黙ってうつむき頬を赤らめている事しか出来ませんでした。 それ位しか他人との接触が無かったのです。 父も母も庭が好きでした。 母は私をよく庭に連れ出して花の名前を教えてくれましたが、 私はほとんど覚えていません。 なぜなら、庭師とその脇にいた少年に目がいってしまっていたからです。 母は庭師のタケさんに挨拶をして今年の薔薇は6月くらいかしら。 とかそんな話しをしていました。 庭師のタケさんは「お嬢さんに挨拶せんか!」と 脇の少年に言っていましたが、少年も私もお互い挨拶などしないで、 上目使いでちらちらとお互いを観察したりしていました。 「拓っていうウチの息子ですわ。愛想の無い奴で申し訳ない。」 タケさんはそう言って、拓と言う少年を小突いて、 また仕事に取りかかりだしました。 私は少年の日焼けした肌と荒れた手と土で汚れた靴を眺めていました。 その少年が私にとって父以外の異性との初めての接触でした。 私は部屋に戻り紅茶を飲みながら、庭師の仕事ぶりをずっと眺めていました。 勉強の時間になっても、全然する気も起きずに窓の外ばかりを気にするまま、数ヶ月が経ちました。 私の部屋にはバルコニーがあり、高く太い木が植わっています。 バルコニーから背伸びをして薔薇の咲き始めた庭を眺めていました。 遠くの薔薇を眺めていたので、その存在に気がつきませんでした。 いきなり少年が、ぬっと顔をだし、日焼けした肌に白い歯を光らせながら 「お嬢さんに。」 そう言って薔薇の花束をくれました。 「なんで?」 「これは傷んでいるからって親父が切って捨てるって 言うけどまだまだ綺麗だから、こっそり持ってきちゃった。」 そう笑いかけられて、花束を渡された彼の手は血だらけでした。 「棘があるから気をつけてね。」 そう言ってするすると少年は、木から降りて行ってしまいました。 「ねぇ、外れの書庫で今度、クッキー食べよう。」 私は降りて行く少年に向かってそう言いました。 少年は笑って頷きました。 薔薇の花束を持ったまま見えなくなるまで、少年を目で追いかけ ました。 花瓶に薔薇をさして、とても良い香りのする中でその日は、 ぐっすり眠りました。 毎日タケさんの仕事を眺めているので、なんとなく休憩の時間が わかりました。 私はお手伝いのヨウコさんには、気を許していたので、 絶対の秘密だと言って二人分の紅茶とクッキーを用意して貰って、 庭の散歩に出掛けると言って、少年にそっと合図をして 外れの書庫に二人で行きました。 色々な話しを聞いて刺激的でした。 笛の音のする飴の話しや、水で溶かすジュースの話し。 毎日、その時間が楽しみで仕方ありませんでした。 ヨウコさんは私との約束を破らないで、いつも二人分の お菓子を用意してくれていたし、母が私を捜している時も お花の名前を覚えに行くと言ってましたよ。と嘘までついて くれていた事は今でも、忘れていません。 私はこの家の外に出てみたくなりました。 少年がいうソーダキャンディにも興味がわいたし 何でもやってみたくて仕方なかったのです。 「ねぇ、ここから外に出たい。」 「それは無理なんじゃないですか?」 「でも、二人だったら出れる気がするよ。」 「じゃぁ、雨の日に抜けだしましょう。」 梅雨がやってきました。 薔薇はもの凄い勢いで咲き誇っていました。 天気もまちまちで、曇ったり雨が降ったりしていました。 暗くなる頃に雨が降り始め、彼は木を登って私の部屋にやってきました。 今がチャンスです。 私は木登りも何もした事がなかったし、 雨に濡れて暗かったからとても怖かった。 「僕を信じて。」 少年は真っ直ぐに私の目を見て言いました。 言われた通りに木から降りて行きました。 もう雨で全身が濡れていましたが寒さも怖さもありませんでした。 「誰にも解らない様に出るには、この道が良いから。」 そう少年は言って、薔薇の壁の間をくぐり抜けました。 途中、棘に引き裂かれた肌が痛かったけれど外に出るという 事だけで頭がいっぱいでした。 白いワンピースは泥だらけで、血塗れだったけれど 外の景色は私の想像以上に刺激的でした。 駄菓子屋 散髪屋、おかっぱの少女、軒下で雨宿りをする男の子達、 ラッパを鳴らすお豆腐屋・・・。 書庫で話していた決闘をしたという河原で、また色々な事を話しました。 私は少年の事をきっと好きだったのでしょう。 だから父にする様に抱きつきキスをしました。 少年は驚いていましたが、ずっと手を繋いでいました。 家の中は大騒ぎだったようです。 私の部屋の窓は開け放され、私は何処にも居なく、母はパニック状態 に陥り、大変な事になっていた様です。 足跡や、情報で居所はすぐに見つかってしまいました。 私達は両方の親に引き離されました。 繋いだ手が遠く遠く離れていきます。 もう、きっと二度と会えないだろう。 幼い私のやった罪は深い。直感でそう思いました。 「また、絶対、会えるから!」 タケさんに小突かれながらも少年は叫びました。 「神様やお化けがいるって信じているなら、絶対、また会えるから 僕は、神様もお化けもいるって信じてるから、だからお嬢さんも そう信じていて!」 さらに大きな声でそう叫んで少年は引きずられながら連れさられ 私も自分の家に連れ戻されました。 家に着くと父の怒鳴り声が私の部屋まで聞こえてきました。 タケさん一家がやってきていたのだろうと思います。 幼い私達の考えは、大人達を巻き込む大変な事となって しまいました。 私は夜中にこっそり部屋を抜け出して、庭中の薔薇を素手で むしりました。 柔らかい手のひらから、薔薇より紅い血が滴ったりましたが、 関係なくむしるだけむしりました。 そのまま部屋に戻り、ベッドの周りにばらまいて泣きながら 神様はいるんだとずっとつぶやきながらいつの間にか眠っていました。 庭師はタケさんじゃない人に変わりました。 何も考えられず、呆けた様に何日も何年も過ごしました。 父の仕事が上手く行かなくなって家を手放す事になりました。 あの時、無理に出なくても良かった外の世界に無理やり 出る様な事になりました。 私の家は人手に渡り、あの当時は珍しかったアールデコを あしらいながらの洋館と行き届いた庭を賛美され美術館になったようです。 数十年ぶりに、訪れてみました。 入館料を払い、懐かしい道を歩きました。 誰も私がここで暮らし、少年に淡い思いをよせていたなんて 同じ空間にいる人には、当たり前ですが、解らない事でしょう。 その日から私は薔薇の咲き誇る、梅雨のシーズンにここをたまに 訪れました。薔薇の棘で作った傷を撫でながら、神様は、本当に いるのだと目を瞑って信じました。 そうやって、また数年が過ぎました。 あの頃と同じ様に、雲行きが怪しくなり、一斉に雨が降り出しました。 窓ガラスを濡らす雨音越しに、庭を眺め、当時10歳だった少年の 叫び声を繰り返し思い出しました。 涙が一筋だけ頬をつたいます。 「お嬢さん?」 40前の男の人が声をかけてきました。 「?」 「あ!」 私は軽い悲鳴をあげました。 「ね。絶対に会えるって言ったでしょ。 僕はずっと神様を信じていたよ。」 彼は得意げに笑っていました。 もう、泥だらけの靴でも、ランニングでも無くスーツを着ている 少年は白い歯を覗かせて微笑みました。 いたる所に面影を残したままの、この場所や風景に私達は、無言になり ながらも雨に濡れる薔薇を二人で眺めていました。 ずっと ずっと・・・。 雨が止んでから手を繋ぎ懐かしい庭を散歩して、 夕暮れの書庫で軽いキスをしました。 雨上がり独特の土の香りと薔薇の香りと少年の香りが重なりあって 私は声を出さずにそっと泣きました。 少年は私の手を握って、私達はまた歩き始めました。 少年の荒れた手は、何も変わっていないんだと、物語っています。 -
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