Spilt Pieces
2004年01月30日(金)  飴
バイト先で、小さなお客さんからプレゼントをもらった。
お母さんの腕に抱っこされて、まだ言葉もたどたどしい。
何を買うわけでもないのにレジに来て、一生懸命に手を伸ばしている。
不器用に握られた棒付きの飴。
「さっきもらったんですけど、まだ食べられないし、我が家では飴を食べる人がいないものですから。よかったら、どうぞ」と、お母さんが補足説明をしつつにっこり。
すごく優しい表情だった。
顔かたちを、見損ねてしまったけれど。
動揺しているうちに、お金を置くはずの場所に飴が二つ。
お礼を言う間もなく、次のお客さんが来てレジは慌しくなった。


高校入試が始まっている。
連日、マークシート用の鉛筆や消しゴムを買っていく人が多い。
そんなに量が置いてあるわけでもない参考書が売れていく。
買っていくのは、大抵の場合本人ではなくその親らしき人。
「うちの子、勉強しないものだから」
余分な言い訳に対するお釣りなど出せないけれど、「大変ですね」と、とりあえず笑う。


私の母は、「勉強しなさい」と言わなかった。
ただ、私や弟の表情が楽しそうかそうでないかだけ、見ていたようだ。
母は、何も言わない。
私が泣いているときも、笑っているときも、口を開くまでは干渉してこない。
中学生の頃、よく部活の顧問に殴られたものだが、大泣きして帰ってきても、いつもと変わらない。
「ご飯よ」
「いらない」
だけど、意地を張っても結局、腹の虫に負けて食事を取りに部屋を出る。
だけどその食卓で、何も聞かない。
その代わり、私が何か話し始めると黙って話を聞いてくれる。
今日の給食おいしかった、も、先生に殴られた、も、母にとっては同じ話に聞こえているのではと思うほどだった。
「ひどい先生ね」なんて、一言も言わない。
私が本当は先生を嫌っていなかったことを、多分知っていた。


何一つ強制せず、ほとんどのことに対して制約をしない。
勿論、高校生の頃、夜8時過ぎに帰るなどということを許してはくれなかったけれど、基本的に、いつだって信じてくれていた。
大学生になって、男友達の家で皆で飲んで雑魚寝をした挙句朝帰りをしても、母は「ふーん。寝不足で運転して事故を起こさないでね」と言うだけ。
「心配しないの?」
「心配されるようなことしてるの?」
「…してないけど」
「じゃあいいじゃない」
誰よりも心配性なくせに。
本当は聞きたいこと、山ほどあるくせに。


「お母さんって、普通のお母さんと違うよね」
「何が?」
「何も言わないところ」
「そうでもないわよ」
「そう?」
「うん」
「でもさ…」
「でも?」
「普通は、勉強しなさーい!とか、門限守りなさーい!とか、言うものじゃない?」
「あら、お母さんたくさん言ってるじゃない」
「えー、どこが?」
「じゃあ、言ってほしいの?口うるさいの希望?」
「いや、そんなことないけど。っていうかむしろやめて」
「じゃあいいじゃない」


「うちのバイト先さ、参考書とか買ってくお母さん多いんだよ」
「へー」
「変だよね」
「何で?」
「だってそんなの自分で買ったってやるか分からないのに、人から与えられたものでやるわけないじゃん」
「でも、何もなければ本当に何もやらないでしょう?だから、きっと、母の愛よ、母の愛」
「何あほなこと言ってるんだか…っていうかうち、お母さんが何か参考書買ってきてくれたことない気がするんだけど…」
「あー、そういえば」
「何もないとやらない、って言ってるくせに」
「あなたたちは勝手に買ってきてたじゃない」
「何もなかったしさ。あ、世の中のお母さんもそうすればいいのに。放任主義」
「放任じゃないわよ、失礼ね。見守ってるって言ってくれる?」
「本当に見守ってるの?」
「…フリして、寝てる。ははは」
「あーあ、やっぱりね」
「私そんなに教育熱心じゃないもの。勉強のこと、よく分からないし」
「でも心配にならなかったの?私の勉強しないっぷりを見てて」
「だって、やってもやらなくても、困るのも助かるのもあなた自身じゃない。自分で分からなければ意味ないでしょ」
「放っておいて、ずーっと私が勉強しなかったらどうした?」
「…考えてなかった。いやー、うちの子優秀でよかったわねえ」
「何じゃそりゃ」


母は、本を開くと3ページで眠ってしまう。
漫画の本一冊読むのに、一日かかる。
ラジオを聞くのが好きで、それを聞きながらパッチワークをやる。
午後5時過ぎには、NHKで大相撲。
たまに卓球をしに行って、ふと気がつくと自転車でウロウロ。
料理教室の日にちを一週間間違えて、興奮した様子で何故か楽しそうに報告する。
午後10時過ぎ、この季節は大抵コタツで居眠りを始める。
何度起こしても駄目。
起きての第一声は、「あらら?いつの間に寝てたの?母としたことが」
やたらとソロバンが早い。
あまり自分の話をしない。
そして、よく笑う。


世間体とか、点数とか、何の意味があるのかよく分からないと思うのは、そんな母に育てられたからかもしれない。
母方は、祖父母も伯父も伯母も、例えば学歴など一切気にしていない。
そもそも会話にさえ出てこない。
「どこに行っても、幸せならそれが一番だよ」と、口ばかりではなく本気で言う。
「すごいわね、おめでとう」その言葉は、自分の希望を叶えたことに対する労い。
そういえば、参考書を買っている人など誰もいない。


子どもがうるさくしていると、怒鳴る親が多い。
もしくは、理由を長々と説明して、黙らせようとする親。
レジが混んでいるときにそれをやられると、ちょっと困る。
「恥ずかしいからやめてちょうだい」
店員である私の方を、チラチラと意識しながら。
その度、にこにこ笑いながらその光景を見て、だけど心の中では「誰にとっての恥ずかしい、なのだろう」と、聞きたくなっている自分がいる。
子ども自身にその考え方が分かっているのであれば、最初からやらないだろう。
今日の飴のお母さんは、ぐずる子どもと、ただ、遊んでいた。
同じ目線から、子どもの考えていることを見てあげようとしていた。
飴をくれたときも、「はい、出して」と、促すこともなく、私の目の高さと子どもの高さが近くなるくらいまでに抱き上げていた。
子どもは、まだ言葉を話せなかったけれど、目を見ることができたから、言いたいことはとてもよく分かった。
「これをもらってね、お姉ちゃん」そんな感じだった。
一度受け取ってから返すと、少し悲しそうな顔をしていたから。
ああ、このままもらってほしいんだな、と、分かった。
勿論、もらっていいのか分からなかったから、困ってしまったのだけど。


最近は専ら教育ママが主流のようだが、それがいいとばかりは限らないのかもしれないな、と、子どもを産んだこともないくせにぼんやりと思う。
私は母以外に母がいるわけではないから、放っておいてくれない母のところで育ったらどうなったのかなんて分からない。
ただ、できることなら私も、心配する気持ちをぐっと堪え、同じ目線で話す努力のできる人になりたいなと思う。


そういえば、そもそも、何をもって「熱心」なんだろう。
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