a hermitage
もくじ|前の|次の
| 2007年03月30日(金) |
金毘羅とは人生である! |
金毘羅さん・・
石段を えっちら おっちら 「疲れたー!」 「あと何段?」 「お土産屋さん〜♪」
こんな 会話を 楽しめると 期待していたのに・・
「金毘羅さん」、 どーーーーってこと ない所でした。。。
観光ガイドに出てる 何百段の 石段・・
どひゃーんと 「上がらなくては話しにならない!」 って ものだと 思ってたけれど
なんか 違うんです。。。
ちょこちょこっと 上がっては 神社、
ちょこちょこっと 上がっては 神社、
両サイドの お土産屋さんも 「寄り道したい♪」 と いうようなお店ではなくて。。。
しかもサ、 アタシタチ 独りで 上がったのよ!
なんだか 知らねーけど、 「お年頃」ってーの? ブスっとしちゃってさ、
話しかけても うっとうしそうだし、 機嫌とるのも バカバカしくてさ、
「待っててくれなくても 勝手に行けば?」
と 言ったら ほんとに 先に 行きやがったよ! 振り返りもせずに!
どこかで 待ってるかと思ったけど そんなこともなく さっさと 行ってしまっただよ!
どーゆーこと???
おかげで 独りで 雨の中 上がりましたわよ。
「筋トレしに来たんじゃねーぞ!」 って 気分だったわよ。
でさ 思ったの。
「金毘羅の石段は 人生の縮図である」
と。
上がるまでは そこそこ 賑わってて 「なにか 楽しいことが 待っているかも♪
全部上がるのは 苦しいだろうけど きっと 楽しい思い出になるはず♪」 なんて 期待してんのよね。
でもさ 他人が言うほど おもしろいこともなくて
あげくのはてが 息子に 見放されるのよ!
「オレはオレで行く!」 と。
丁度 「本社」の あたりだったかな。
人生も そうよね、 子どもの 自立、 それが 大きな節目。
そこから 「独りぽっち」 が はじまるのよ。
「奥社」への 長い 道のり。
「本社」を見て もう いいんだけど 「行くものなのかなー・・」 と みんなが行くから 流れに 身をまかせ・・ あがったら 何があるのか よくわからずに。
目的も無く ただ 歩いていくのは 想像以上に つまらないのですよ。
あとどれくらいなのかも わからなくて。
しかも 独りよ!独り!
周りは 家族連れ、 ご年配の夫婦、 若いカップル、 楽しそうなグループ・・
私だけ 独りぽっち・・
「疲れたー」 と言う相手も いないのよ。
「キレイな景色♪」
「見て見て!桜!」
「晴れてたら 瀬戸大橋まで見えるはずなんだってー」
「荷物持ってよ」
「休憩しない?」
・・・
そんな 些細な会話も する相手が いないのよ。
寂しかった。
足が疲れたことより そのことが ひどく 辛くて 泣きながら 歩いたよ。
私の人生も おんなじ。
同じときを 喜んだり 悩んだりする相手は いないんだよね。。。
とにかく 歩かなきゃいけないから 歩くだけ。
やっと 奥社まで 着いたけど どーってことないところだった。
チェッ、 って感じ。
「いつかきっと いいこともある」 なんて 言われてるけれど きっと こんなもんなんだよ、 人生だって。
奥社で やっと 落ち合えて 一緒に 下ったけど
これまた 「さっさと行きたいだろうのに 私がお荷物でスマンのー!」 みたいな空気で。
これが 「老後」ってやつ?
とにかく もう ヘトヘトで 迷惑かけないように 着いていくのが 精一杯で。
向こうから 話しかけてくるのは さい銭なり お土産なりの 「お金ちょーだい」 くらいのもので。
いやはや ほんとに 「金毘羅詣では 人生の縮図成り!」 と 私は 悟りましたよw
行く機会があったら そういうこと 意識してみてくださいな、 シアワセな方には とても シアワセなひと時が、 そうでない方は 人生の厳しさ 感じちゃいますからw
どっちにしても 「奥社」まで 登る価値は 無いかな〜・・ 本社までで やめといても いいと思うよ!
|