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息子二人。 夏休み真っ盛り。そんな息子をおいて、8月22日。土曜日。 ふもとっぱらに、ブラ〜っと行こうかな。
かれこれ20年。かれの音楽は聞かなくなっている。 中学、高校の6年間はそれこそ、かれの音楽を聴いてオレは育った。 いや聴いたどころではない。足のさきから頭のさきまでかれになっていた。
6年間でかれのコンサート20回以上は行ったよ。 東京、神奈川、埼玉、群馬、千葉で開かれたコンサートのほとんど。
中学、高校のときオレの親父は単身赴任でほとんど家にいなかった。 4歳上のアネキもほとんど家にいなかった。 アネキはローリングストーンズ、ザ スリート スライダーズが大好きな ロックなねぇちゃんだった。
オレはオヤジもアネキもほとんどいない家で オフクロと一緒に生活をしてた。
毎日のようにオフクロと喧嘩した。 オフクロはヒステリーになってオレと喧嘩したけど 真剣に向き合って喧嘩してくれてたんだと今になって思う。
オフクロとは喧嘩しまくったんだけど 良かったのはオレもオフクロもすぐ仲直りするところだった。 そのかわりまたすぐに喧嘩が始まるんだけど。
そんな田村家に いつも流れていた音楽があった。いつもスピーカーからは、かれの音楽が流れていた。 オレが中学一年生になって間もないころからずっと高校生活が終わるまで流れていた。 そしてオレが高校一年生になったころには、かれの音楽だけではなく。 田村家にはギターを弾き始めたオレの唄声も響くようになってた(笑)
オレの中学、高校生活、親父、アネキがほとんど帰ってこないオレにとって オレのオヤジがわり、アネキがわりになってくれていたのは 言うまでもなく、この兄ちゃんの音楽だった。
かれの音楽がいつもオレの側にあってオレを勇気づけてくれていた。 この兄ちゃんって、オヤジがわりもしてくれた兄ちゃんって 長渕剛なんだ。
高校を卒業して、すぐに ライブ活動を始めるようになって、人前で歌うようになると 兄ちゃんの音楽を聞かなくなった。遠ざけるようになった。 時にオヤジがわりだった、時に兄貴がわりだった兄ちゃんの音楽は いつしか反面教師になっていた。
忌野清志郎の音楽に、こんな世界があるのか!と道が開かれ ブランキージェットシティの音楽に電流がはしり アネキが好きだったザ ストリート スライダーズを聴いたら そこには生身の音がありグルーブがあり それからというものむさぼるように海外の音楽を聴いては吸収し発見し 自分の音楽を作ることに無我夢中になってた。
そして 音楽のお母さんは忌野清志郎、お父ちゃんは長渕剛から産まれた オラの音楽は未だに自分を探し続けている!なんていうと かっこつけやがってコンニャロメ〜。
あれからあっという間の20年。 オレもライブ活動をしている。 ライブはオレにとって唯一、 一度も辞めようと思ったことがない日常 たぶんきっとこれからもずっと、その気持ちはかわらない。
この20年。ひとことでは言えない色々があり、全部まるで寄り道をしているようだ。 気がつけば、あっという間の20年 剛ニイチャンも現役バリバリでライブ活動していた。いや していたどころの騒ぎじゃない!
兄ちゃん、この夏、富士山のふもとでオールナイトコンサートやるじゃないか! ずっと兄ちゃんのこと遠ざけていたけど、この夏、会いに行こうかな。 行きたいかもな。
剛ニイチャンと一緒に富士山から登る朝日、見てみたいな。 立川から直通で富士山のふもとにいけるシャトルバスが当日、走るみたいだから それに乗って行こうかな。
ちまたの噂じゃ10万人は集まらないっていうことだけど 別にそんなことどうでも良いじゃん!人数じゃない。 そりゃもちろん沢山の人が集まれば集まるほど会場は嬉しいだろうよ。 人の数に勝る演出はないのだから。
だけど音楽は人数じゃない。 一人の人間のハートを鷲掴みにしてるかどうか。 二度と離さない電流を流したか。 そいつの人生に直感的刺激をあたえてるかどうか。 だよ。理屈じゃなく。
10代の多感な時期のオラのハートを鷲掴みにしてた剛ニイチャンが 決死の覚悟でのぞむ富士山オールナイトコンサート。 とってもお世話になったし、これで会うの最後かもしれないし。 俺も今、いろいろあるし、なんか、会いに行こうかな。 20年ぶりに長渕剛に会いに行こうかな
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