先日、養母さんと話していた時のこと。 小学2年生のAちゃんが、中学受験を目指すべく、某学習塾「N開」の 夏期講習に行くというのだ。 私が子どもだった頃は、中学受験を希望する子は早くて4年生くらいから 塾に通っていたが、今時はかなり早くから準備するものらしい。 Aちゃんはいやいや行っているわけではなく、がんばっているようだ。
「お受験」という言葉の響きだけが一人歩きしているようであるが、 受験自体は得るものもあると思う。 ただ、受験とか勉強とかは、やたらに時間が取られるものであるので、 他のことが制限されるとすれば残念だなと思う。
20数年の人生を振り返って考えるに、「生活力をもっとつけて おくんだったな」と後悔している。
もっと料理しておくんだった、もっと映画も観ておくんだった、 一人で病院も行っておくんだった、一人で外でごはんが食べれるように なっておくんだった、とか、もう後悔することしきりである。 もっと恋愛しておくんだった・・などなど。 会計係になっても、子どもの頃から郵便局とか銀行に行っとくんだったな、 とか思っているのである。 日常をブラブラと、経験しておくべきだった。 もっとも、「お受験」はしていないので、それで時間をとられたわけでは ないのだが・・。
たまにペットボトルのふたを開けることができなかった時、 「飲めない」と、心の中で涙してみたり。(もちろん、今はペットボトルを 開ける道具ももっている) こんな大人になってしまった。社会人になるといろいろ経験する時間がない。 これまでに、もっと社会をみておくのだった。
ここまで書いて、読み返してみると、題どおり、なんとも 後ろ向きな文章である。経験不足というよりは、ただ単に、生活IQが 低いだけなのかもしれない。
こんなことを書くのではなかったなあ、とまたまた後悔。
|