長いんで覚悟してください。 - 2003年05月09日(金) 宝島社のJポップ批評の最新刊は、 なんとフリッパーズギター&渋谷系特集。 そういや最近、20歳前後のパーフリ・ファンが意外といるんだよね。 昨年(一昨年?)にクイックジャパンが回顧録的な特集やってたけど、 それが発火点なんだろーか。 まあ、そんなこんなでワシもひさぶりにパーフリのCD、 引っ張り出して聞いちゃったりなんかして。懐かしいねー。 パーフリが活躍してた89、90、91年ってオレにとっても、 エポックメイキングな年だったですよ。 というわけでオレも回顧モードに突入です。。。。 ちょうど高校の頃。世間はバンドブームでして、 オイラもちょこちょこバンドやってたんですが、 高2のある日、とあるコピーバンドで暴威(とあえて書く)の曲に合わせて ゲイリー・ムーア風のギターソロを弾いたらボーカルに怒鳴られる、 という経験をして以降、ロックの周辺にいるヤツラが嫌になってしもうて、 クラブ(というかナンパ系ディスコティ〜ク)に出入りしはじめたんですよ。 あの頃はまだユーロ、ヒップホップ、R&Bが細分化されてなくて、 たとえば渋谷のスパジオ(ガウディ)なんかだと、 ユーロ中心なんだけど、その合間にR&B(ブラコン)やヒップホップが、 挟まるという、今では考えられないような状況があったの。 新宿のニューヨーク・ニューヨークに至っては、 深夜帯は「ハローミスターモンキー」に合わせて、 みんなでステップを踏むという、ムチャクチャな状況。 オールジャンルにもほどがあるだろう、という(笑)。 今にして思えば、パラダイスガラージュつうかイビサつうか、 最近でいうところのクロスオーバーつうか、 まあ、そういうごった煮状態だったわけです。当時は。 渋谷でジャンルに拘ってたのって、 ブラック系のS・I・ジョーくらいだったんじゃないかな? でね、こういいう空間ってオレみたいな人間… 〜ライブハウスしか知らなくて、音楽といえばメタルかパンク。 黒系言うてもランDMCかビースティ止まり。 時々お洒落にキメてスタカンやキュリオシティ〜 …にはまったく異質かつ刺激的な世界だったんすよね。 で、ちょうどその頃、パーフリに遭遇するわけなんだけど、 よく1st『海に行くつもりじゃなかった』で衝撃受けたとかいう人いるけど、 オレ、本当、最初は全然わからんかったです。 なんだ、このフニャフニャした感じは? メタルなオレには程遠い世界でした。 冒険したオレが悪かったんだけど。 てゆうか嫉妬しました。その洗練されてる感じに。 で、ついに90年に突入するんだけど、 ココへきてディスコがクラブに変貌しはじめるんだよね。 ニュージャックスイングやグラウンドビートなんていう、 新しいビートが日本で紹介されはじめた。 芝浦GOLDが人気爆発。その効果で、 本格的なハウスがクラブでかかりはじめる感じですな。 オクトパスアーミーの裏にあったクラブ(名前忘れた)で聞いた、 テンシティ「デヴォーション」〜Mジェファーソン「オープンアワアイズ」 っていう繋ぎは、いまだに忘れられないもん。 思えばこれがオレの初アンビエント体験ですな。 と同時に昔の名盤がCD化されはじめ、 ビーチボーイズ「ペットサウンズ」を買ったのも実はこの頃。 期せずしてアンビエント〜ソフトロック=癒し系? な音世界に突入していくオイラなのでした。 で、一方のパーフリちゃんは、予備校ブギだかADブギの主題歌だった 『恋とマシンガン』でヒット飛ばすんだけど、 これが入ってるアルバム『カメラトーク』はちょっと好きでした。 当時の彼女が持っててそれテープに落として聞いてたんだよね。 ソフトロック方面に行きかけてたせいもあって、 ボッサ系がすごく心地よく響きはじめた時期で。 それとこの2ndから曲のリズムがシャッフルしはじめるんだよね。 このシャッフル感とニュージャックやグラウンドビートのシャッフル感が、 オレの中でつながったって感じ。 でも『カメラ!カメラ!カメラ!』の時代遅れのニューウェーヴ感だけは、 いただけなかったっすね。 そして91年。バンドブームは完全にダサイものになり、 ディスコのクラブ化は進む一方。 それについていけなかった箱が潰れたりもしたね。 先のスパジオ(ガウディ)、渋谷黒系の総本山S・I・ジョー、 ツバキハウス亡き後のロンドンナイトの拠点だったホットポイント、 どこもみーんなカラオケ屋になりやがった。 オレも新しい箱、いい箱を探すのにやっきになってたっけ。 CAVEとかROOMとか。青山のMIXもね。 で、この時期、イギリスでとんでもない動きが出始めていた。 ハウスを取り入れたロック=おマンチェ系が登場。 それまで相容れなかったロックとダンス、 この垣根が取り払われようとしていた。 (ロックの人がクラブに免疫ついたの、これ以降だよな) それに呼応するかのように、パーフリちゃんは、 3rd『ヘッド博士の世界塔』を出すわけです。 そう、これが大名盤だった。 当時のオイラが求めてたソフトロックもハウスも おマンチェも、すべーてここに詰まってた。 ハレルヤ・レイヴオン・カムトゥゲザー!!!! ピチカートの小西さんも、このアルバムではじめて、 パーフリすげえと思ったらしいけど、それに共感。 それにさー、これ誰も言ってくれないんですけど、 今では全然珍しくない「ロックとダンスの融合」を、 「ヒップホップ的方法論をロックに持ち込む」を、 日本ではじめて本格的にやったのはこのアルバムなはずなんですよ。 同じ時代の日本人のアルバムを聞いてみい。 まだバンドブーム的な8ビート引きずってるから。 全然、16ビートじゃないんだから。 その後、ガバハウスやドラムンベース(ジャングル)が登場。 そして90年代中期頃から、 クラブでかかる音楽が細分化されはじめるようになった。 箱よりもイベント中心にクラブは回り始めた。 いままで一緒だった全てのジャンルはバラバラになり、 当初はハウスでひとくくりにされていたテクノやアンビエントまでが、 一部のDJや評論家の手によって分断されてしまった。 いままでいろんなクラブで会ってたヤツらも、 社会人になったりして、ほとんどみかけなくなった。 オレはオレで放送作家はじめて遊ぶどころじゃなくなってたし。 そういえば『ヘッド博士の世界塔』の1曲目、 『ドルフィンソング』の詩にこんな一節がある。 「本当のこと知りたいだけなのに夏休みはもう終わり」 おニャン子いうところの「終わらない夏休み」に幕が下りた、 そんな感じだった。 その後、オレにとってのクラブは行ってもせいぜい2ヶ月に1回。 しかも音楽を楽しんだり、新しい出会いを楽しむところではなく、 ただ単に知り合いに会いに行くだけの場所になりつつある。 みんなもそうなんだろうなぁ。 先日、ファッション誌見てたら読者のアンケートが載ってて、 「よく行くクラブ(イベント)は?」ってところの1位が、 「通っているショップのイベント」って書いてあった。 狭い箱で同じ服来た身内が集まって、同じような音楽聴いて、 ダベッたりして。そういう世界ですな。 あー、もっとオールジャンル系の大箱、ガンガン出来ないなかぁ。 マドンナとメイシー・グレイとリルキムと、 あややとアラベスクが同時にかかるような、 そんなバカな箱ないっすか? ご存知方、ご一報を! あ、そうそう。 ここを見てる貴兄にワンポイントレッスン。 パーフリの前身バンドは“ロリポップソニック”っていうんだけど、 これのデモ音源を持ってるっていうだけでモテますよ。 男女問わず、若いパーフリファンに。 興味のある方はご一報ください。 おすそわけいたします。 ...
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